世紀末微懐メロ伝説その68。

トライアル・バイ・ファイアーMessage of Love
JOURNEY
Trial by Fire [1996]

 そのあざとさは、もちろん許されるのだ。
 彼ら5人のやることであるなら。
 解散前のラストアルバムであるレイズド・オン・レイディオから、10年の時を経てもたらされた5分36秒の陶酔。


Frontiers [Original recording remastered] [from US] [Import] この曲が、セパレート・ウェイズを知らない世代にどれぐらいアピールできたのかはわからない。実際シングルカットされたのはジャーニーらしいバラードであったし、アルバムを通してここまでロックしている曲は他に見られない(トラック13は日本だけのボーナス)。
 冷静に考えるならば、この曲は特等席に置かれたサプライズと解釈すべきだ。そう捉えると、ほぼ同時期に復活を遂げたナイトレンジャー(Moonじゃなくて’97リユニオンの方)との対比がとても鮮やかに見えてくる。ナイレンは復活アルバムを出すにあたり、やはり名曲ロック・イン・アメリカを「1997年バージョン」として邦盤ボーナストラックに納めてきた。そこに見られたプレイは(非力なプロデュースのせいでもあるが)とても正視に耐えるものではなかった。アルバム全体にも「あの頃への回帰を目指してるわけじゃないんだ、今の俺たちなりのやり方を見てくれよ」的な雰囲気が漂っていたように感じた。
 しかしこのアルバムは「ロック・モンスターJourneyの復活」を高らかに宣言するのだ。メンバーはJourneyであるがために必要なプレイを、Journeyを構成するために必要な資質だけを、(ペリーを含め)自らのフィールドを押し出すことなく持ち寄っている。わかりやすく書こう。これは断じて「新生ジャーニー」ではない。紛うことなき「復活ジャーニー」だ。
 その意図がすみずみまで行き渡ったこのアルバムを最後に、フロントマン兼メロディメイカーであるスティーブ・ペリーはバンドを脱退する。もうライブはできない、喉がもたない、という身体的な問題であったと聞く。でも、もしかしたら実際のところは違っていたのかも知れない。そう疑う理由がスティーブ・オージェリーの参画を得て活動を再開している「新生ジャーニー」のスタイルにあるのは間違いない。ペリーには実質バッド・イングリッシュと化した現在のジャーニーが見えていたのだろうか。
 もちろんメンバー同士の確執ではなく、例えばプロデュースやレーベルが望むものとの齟齬が理由である可能性もある。ただ、「ペリーのそっくりさん」をヴォーカルに据えてその後も活動を続けているのは現実であり、それを許せないファンがいるのも確かだ。私はノンポリなので許してしまっているが。
 そんなゴタゴタもあり、このアルバムは「今のジャーニー」と「昔のジャーニー」の分水嶺として評価の俎上から転がり落ちているように見える。基本的には「昔派」であるけれど「今」も聴き続けていて、それでもこれが一番好きな私としては悲しい限りだ。ぜひ再評価を。
 ちくしょ。どう足掻いても清治兄貴のライナーには敵わねえよ(つД`)
 悪いこと言わんからオールドファンは邦盤買え。