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2002年3月15日は金曜日。

『言葉は心の隙間を埋める』

 そんなもので心満たされる人もいる。とうに色褪せてしまった約束も待つことができる。あの人は僕に、そんなことを教えてくれた。

『ならばせめて、丁寧な嘘を』

 自分の言葉にはもう、諦観と自尊心を粉飾する力しか残ってなかった。やさしくしてくれたあの人への、それは僕なりの感謝だった。

 僕たちの終わりは、とても綺麗だった。
 他の誰かが見ていたなら、きっとそう言う。

「木の葉のスケッチ」その6

 タバコをくわえて、ポケットをまさぐる最中に気付いた。
 ライターはもう、無い。
 軽い失望感の中、マッチを頼もうとしてまた気が付いた。
 いま目の前に座っているのは、あの人じゃない。
 『一箱ぐらいにしておきなさいよ』と飴色のレノマをテーブルに滑らせた、あの人じゃない。

「タバコ、ええかな」

 あくまで形式として聞いた。たとえ女の子と一緒だろうと、自分の中でタバコとコーヒーは厳然と不可分を主張している。

「あ、はい」

 焼きの入った窓枠と飾りガラスよりも、深い煎りのブレンドよりも、お手製のケーキを目的にやってくる女子大生の比率が高いことで有名な店。
 大学から駅までの坂道にある狭いカフェ。学校近辺では女っ気ゼロで、少し入りづらかったその店の窓際に僕らは座った。

「けど、どういう風の吹き回しですか」

 むりやりに深刻ぶった顔が、突然近づいた。

「どういうって……オレがお茶に誘うん、そんな異常事態なんか」
「うん、多分みんなが聞いたらびっくりする」

 みんな、というのは恐らく彼女の同級生──学科の後輩連中のことだろう。一体どんな奴だと思われているのやら。

「○○さんって、そっち方面の人だって信じられてるから」

 特製ブレンドが気管を急襲した。

「……おい」
「まず、彼女がいないってのが絶対おかしい」

 女っ気がない。下手すると、そういう事に興味が無さそう。
 そんな評価はいつものことだった。覚らせないよう立ち回ることには自信があったし、同年代の異性からダイレクトな好意を寄せられるのが苦手だったこともあって、むしろ自らもそれを由としていたのは確かだ。
 その結果がホモ呼ばわり。

「そのくせ男トモダチのつきあいには妙にマメでしょ」
「そんなんが理由かい」
「あっ、元々は私が言ったんじゃないんですよ。○○さんの同期の人たちも含めて女の子の間じゃそういうことになってるんです」

 どうやら、匂いを消すのがうますぎるのも逆効果らしい。

「そんで、自分はどないやの」
「はいっ?」
「オレを目の前にしてやね」
「ああ、ホモに見えるかってことですか」

 そういう問いでもないんだが、と嘆息する僕の耳に入ってきたのは、少しばかり予想とは違う台詞だった。

「見えない──っていうか、困る」

 何も期待してなかった。
 だってそれは、あくまでリハビリの一環だったから。

「困るって何よ」
「だって私、ずっと」

 ひどい言いかたをすれば、誰でもよかった。
 雲行きが怪しくなれば、すぐにでも笑い飛ばして無かったことにしてしまうつもりだった。

「○○さんっていいなー、って思ってたもん」

 僕の口はそれ以上の言葉を紡ぎ出さなかった。
 僕の視線は、彼女の細い目に固定されたままだった。

「だから○○さんがホモだと、凄く困る」
「……そりゃ、どうも」

 復帰第一打席は、見事なデッドボールだった。
 悠長なリハビリに付き合ってくれるほど、世間は甘くないらしい。

〔つづく〕


 再開。けどやっぱり不定期。
 むしろ本当に終わらせられるのか激しく不安。

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