世紀末微懐メロ伝説その48。

ディジー・ミズ・リジーGlory
DIZZY MIZZ LIZZY
“Dizzy Mizz Lizzy” [1994]

 この曲──というよりも彼ら──がHR層だけでなくHM層にも支持された理由は、きっとそのプログレ残党的な音づくりだけではないと今さらのように思う。
 別に正則先生がベタボメしたからじゃないのよ、きっと。


 音としては非常に多国籍風味というか、絶対にUSAじゃないんだけどUKっぽいかというとそうも言い切れない雰囲気。微妙に黒いリズムも混ざってたりして、とにかく当時は「えー……なにこれ。ちょっと凄くね?」みたいな感じだった。

 Gloryを聴いてからWaterlineに遭遇するのと、アルバムから入るのとではインパクトが全然違うんじゃないだろうか。ちょっと比較のスケールが小さくなるが、例えばLostprophetsでBurn, Burnを聴いてからStart Something買うとか、Dandy WarholsでBohemian Like You聴いてからThirteen Tales from Urban Bohemia買うとか、そんな感じの嬉しい裏切られ方。ちなみに本作に関しては「Glory先に聴いたHM派の後輩」と「アルバム先に来たUK派の後輩」に薦められて聴いてみたら(Gloryのサビに)覚えがあって「おおコイツらか」という感じ。方向性違う情報源があった当時は楽しかったな、いろんな意味で。

 そして10年以上が経過した今、ミュージックシーンにおける「オルタナティブ」というカテゴリに直結する音楽性のルーツがあるとするなら彼らはきっとその候補に上げられると信じる。でも実際は違うんだよな。本作でクリスピアンクリステンセンが提示したものは主流になり得ず、次作Rotatorでは「代替」たることを放棄したかのよう。だから解散は残念とも思えなかった。それを惜しく思う必要もないぐらい彼らは若かったし。

 といいつつその割にティム・クリステンセンのソロにはファーストセカンドともにノータッチなのはどうしてですか先生。セカンドはCCCDのせいだけど。別のティムもその理由でスルーったよそういえば。ガッデム。