2002年9月27日は金曜日。

鮎川哲也さん死去

 開高健が死んだとき、私はそれほど大きな衝撃を受けなかった。
 私の中で、彼は既に老後を生きる人になっていたから。十分すぎるほどの生を既に消費していると思っていたし、もう彼の中からは語り尽くされた過去と「オーパ」に代表される紀行(フィッシング)の伝聞しか出てこないと思っていたから。
 圧倒的な喪失感がやってきたのは、絶筆である「花終わる闇」の鮮烈に触れてからである。「輝ける闇」・「夏の闇」とあわせ、後に“闇三部作”と称されるこの未完作は彼の中に照らされぬ闇が残されていたことの傍証となった。
 思えば「夏の闇」はそれ自体完結する名作であるけれど、作者自身を投影したはずの彼は皆が知っている「その後の開高健」に繋がらない。むしろ「輝ける闇」単体の方が事実の描写として簡潔にまとめられている。
 「花終わる闇」は「夏の闇」のヒロインと再会したところで絶筆となっている。ユルゲン・ベルントが解説で述べているとおり、この三部作はモチーフや時系列以外の部分で確かにひとつのものである。それは生の体験と理解と実践のプロセスであり、我々は開高健という黒い光に照らされた仮想の世界でひとつの人生を疑似体験する。
 ベルントが解説の追記に残した「『花終わる闇』が未完のままであることは、確かに偶然ではない」との表現は、意図したものと異なる部分で正鵠を射ている。払拭されない闇を抱えたままの彼を追う旅が、彼自身によって記されることは永遠にない。
 このことに気付いて、ようやく私は自家中毒に冒されていない「彼の残り」に触れる気になった。それはまた、実に素晴らしい体験であったことを此処に記しておく。
 ……と、人の感傷をだしにして延々と一人語り。すまん>SUZUNEさん

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 そんなものが出てましたか。