2003年9月30日は火曜日。

高松最後の置きみやげ


「うわ寒っ」
「凍るなあ、これは」

 六甲颪(おろし)が火照った頬を叩く。
 バイクのシートには既にうっすらと霜が降りていた。

木の葉のスケッチ その9

「ね」
「ん」
「泊まってかへんの」
「へんの」

 これですぐに不満をあらわにするような相手だったなら、多分こんなに長続きしなかっただろう。

「危ないやん」
「飛ばさへんから」
「湯冷めするし」
「ちゃんと着込でるて」

 まったくもって馬鹿なやりとりだと思う。
 つきあいらしき事を始めてから半年、僕は週に一度のペースで彼女の部屋を訪れるようになっていた。手製の料理を馳走になり、酒を飲み、風呂に入り、ひとつの布団の中で他愛もない話をし、言葉の無い僅かな暗闇に溺れた。
 でも僕は一度も彼女の部屋で朝を迎えたことがなかった。それどころか彼女と終夜を共にしたのは「はじめて」の時に使ったホテルと旅行先の温泉宿、たった二回だけ。
 それが当たり前になってしまうのが怖かったのか。お互いの体温と鼓動が重なってしまった後の、引き剥がす痛みを繰り返したくなかったのか。

 この子はあの人とは全然違うのに。
 顔も、肌触りも、抱きしめた感触も。
 声も、口調も、話す言葉も。
 何ひとつ同じものは見つからないのに。

「せめてそこまで見送る」
「寒いのに」
「わたしはすぐに戻るもん」
「……まあ、ええけど」

 僕の気持ちだけが切り替わってなかった。
 同じ事を繰り返すのが怖かった。
 それを乗り越える自信がなかった。
 リハビリだ、普通の恋愛だと何度自分に言い聞かせても。

「ちょっと待って」
「なによ」
「やっぱもう一枚羽織った方がいい。取ってくる」
「平気やって言うてんのに」
「ええから待っとって」

 暗く狭い路地で、凍てついた単車にもたれる。
 見上げればオレンジ色の空。
 高速道路のランプに照らされた雲から、申し訳程度に風花が舞い降りる。
 体温と一緒に、僕の気持ちがどんどん冷たくなっていく。

『××君ってホンマに気配りの人やねー』
『そやな。アイツはエエ管理職になりそうやわ』
『それは絶対褒めてへんね、そーでしょ』
『いや、そんなことないぞ。アイツとは似たトコあるとまで思てんのに』

 共通の知り合いをオカズにして、僕らは結構なピッチでワインボトルを空けていた。気に入った同性の後輩を盲目的に可愛がるのは共通の悪癖だったから、お互いの後輩自慢はネタに困ったとき(あるいは話の動向に不穏なものを感じたとき)、とても都合のいい逃げ場所になっていた。

『うそやー。それだけは絶対ないわ』
『それこそむっちゃ失礼な発言違うか』
『○○さんのは気配りと違う。もしあるとしたらそれは気遣いの方』
『一緒やろ?』
『違う。配れば相手に届くけど、遣うだけやったら届くとは限らへん』

 その一言は、僕の心臓を意外なほど深く刺した。
 実際、そのとき僕の呼吸は十数秒ほど止まっていたと思う。

『……何なん、それ』

 正直、僕はそのとき彼女が慌てて打ち消すか、開き直った説教モードに入ってくれることを期待していた。滅多に遣わない強めの口調にはそのニュアンスを含めたつもりだった。
 でも彼女は、僕が対処可能などのケースにも当てはまらない行動を取った。

『やっぱ、わかってへんわ』

 そこは随分と背伸びして入った店だった。
 老舗を引退した名物マスターが引退後に開いて間もない小さなショットバー。おそらく客のほとんどが前の店の常連ばかりという状況の中で、僕は店の雰囲気を壊さないかと内心ひどく緊張していたのだった。

『○○さん』

 酔いのせいでひときわ細くなっていた目をおもむろに見開くと、彼女は膝頭に両手を下ろした姿勢でこちらに向き直った。

『わたしは、あなたが、好きです』

 それは明らかに告白じゃなかった。彼女の目はまっすぐ僕の顔に向けられていたけれど、焦点はもっと遠いところにあった。
 それでも僕はそれまでのいつよりも自分が見つめられていると感じた。自分で知覚できない自分が存在する可能性を、初めて認識した。

 それは錯覚だったのかも知れない。
 それまで、自分の行動に対する評価と自己評価が大きく食い違うことは一度もなかった。他人が自分に何を求め、それに沿ったとき沿わなかったときにどういった評価を下すのかを正確に把握し続けるのは、僕に課せられた業のひとつなのだと物心ついた頃には認識していた。
 そのアイデンティティが予想外の善意によって揺らぐ経験はあった。誰かの中に理想の僕が存在すると聞かされて対処に困ることはあった。
 それでも。

『だからわかるんだと、自信をもっていうけど』

 誤解なのだと言えなかった。
 いつものように、やんわりと遮ることができなかった。
 いや、もっと正確に。
 僕は身じろぎすらできずに射すくめられていた。

『○○さんの善意は、○○さんが思うほどみんなに伝わってない』
『……』
『ひょっとしたら○○さんは無意識でやってるのかも知れない。でも、わたしからみたら○○さんのは善意を無駄遣いしすぎてる』
『いや、それはな』
『○○さんって、博愛って言葉が似合いすぎて厭』

 博愛。
 また予想外の言葉が出た。
 僕は自分しか愛していない、愛せない人間だと思っていた。
 しばしば口にもしていた。恋とは自己愛の一表現に過ぎないと。他の誰かが相手を愛することが許せないなら、それは決定的な証左ではないのかと。

『たまに思うの。わたしは重傷の精神患者で、○○さんはたまたま担当になったお医者さんかも知れへんって。特にひどいからわたしだけ沢山相手してもらってるんと違うかって』
『アホな』
『アホって思うんやったらそうやないとこ見せてよ』
『……』
『他の誰も見んとわたしだけ見ろとか、そんなこと言わへんから。○○さんがわたしをどう好きなんか、見せて』

 僕はそのとき、心から彼女に幸せであって欲しいと願った。
 自分が、そうできなかったとしても。
 それこそが医者の医者たる所以なのだと、深く自覚しながら。

「まだ……アカンか」

 僕は彼女を“欲しい”と思えない。
 言葉を交わしても、求められて身体を重ねても、どこかでひとつになることを拒絶したままでいる。
 それが恋愛の必修単位だとしたら、卒業なんて本当にできるのだろうか。

 サンダル履きの彼女が、女物のダウンジャケットを抱えて走ってくる。
 僕は急いでフルフェイスのヘルメットを被った。
 彼女の眠りが、思い通りにならない僕の表情で乱されてしまわないように。


 結局こっちおる間に終わらへんかったし。
 前のんはサイトマップから辿っておくんなまし。

荷造り荷造り~

 というわけでしばらく更新途絶えます。メールは日に2回ぐらいチェックするんで急ぎの向きはそちらにて。
 しかし久しぶりにモデムで繋いだら怪しいIPが山のように降ってきてるなあ。これまでのはルータ内蔵FWのフィルタリング漏れに過ぎなかったのだと改めて認識。

無料プロバイダ Soloot

 接続環境(@nifty+stnet)が今日で切れるので、その対応として色々と。
 これまで出先とかで使っていたfreejapan.comだが、今見たらなぜかDDI全国共通PHSダイヤルアップ先がAP一覧に見あたらない。ハタと困って他にいろいろまさぐっている最中に発見したのがこのISP。
 melon使えとかOpenSSLセットアップしろとか更新記録がMovableTypeとか、なかなかにアレ気感の漂う素敵なISPだなあ。ちと心惹かれ。

大久野島潜入記

 Non-Frame ちょっと変わった場所への潜入記の1コーナー。
 大久野島、高校の修学旅行で寄ったなあ。毒ガス云々の話なんて忘れてた。
 他にも廃工場とかモトコーとか色んな場所のレポートが小綺麗にわかりやすく。

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