入学式の前後だからちょうど今頃だったと思う。
19年前の4月、「洋食いくた」は初めて訪れたその時から既に懐かしい存在だった。
そもそも自分自身にはあまり縁のなかった神戸を進学先に選んだのは母の影響が大きい。「いくた」がまだ創業6~7年だった頃、当時加納町に住んでいた大叔母の元から越境して生田中学に通っていた母。わずか数年とはいえ、地方都市から国際港湾都市のど真ん中へ飛び込んだ体験は忘れがたい思い出になっただろう。後に就職してからも神戸の仕事となれば率先して引き受け、その頃には生田神社の裏手に引っ越していた大叔母の元へ馳せ参じようとするぐらいに。
影響を受けたといっても、直接の体験として神戸を知らなかった僕のイメージはすべて幻だったはずだ。物心付いた頃には大叔母は川西の雲雀丘花屋敷へ引っ込んでいたし、ポートピア’80の時点では神戸への興味などほとんど無かったといっていい。
でも受験の前年の夏、大学の下見に訪れた僕は「存在だけを聞かされていた許嫁」に一目惚れしてしまった。そして実家を離れ阪急電車で六甲に降りたったその瞬間に、なぜか耳慣れていた関西弁に囲まれた瞬間に、100万ドルの夜景を目の当たりにした瞬間に、海面にきらめく朝日を浴びた瞬間に、僕は何度も神戸に恋をした。自分がいるべき場所に戻って来れたと思った。信じられないほどの思いこみの激しさは、たぶん今もあまり変わっていない。
その後に得られた大事な幾つかのものは「神戸でなくても手に入った」のかも知れないけれど、それが神戸で起きた出来事だったというだけで僕の中での価値は10倍100倍になっている。
19年前には創業当時の様相をほぼ完璧に残していたこの店も、バブルの絶頂期に長い閉店を経て新装オープンすることになる。その小綺麗でちょっと窮屈な店内にもようやく慣れたころ、また(他の多くの店と同様に)膝を付き、そして三度立ち上がったのだ。
そんな歴史は三宮の店ならどこだって持っている。ただそれを見、知り、その上で変わらない中身に惚れている自分がやっぱり好きなのだろう。
この19年の間、僕は二度ほど神戸を離れた。戻ってくるたび「ここにいられるのであれば他の大抵のことは切り捨てられる」と思う。
そんなことを思うとき、僕の足はかならずこの店に向かってしまうのだ。オーダーはいつも「並ランチセット」。ソース要らずのスパイシーカツレツと渋めのデミグラスハンバーグは19年前とちっとも変わらない味。
でもってついでに生田さんにお参りだー。
鬱屈しきっていた2年前、やっぱり戻って来なきゃだめだと気付かせてくれたのもここだった。
まあ既にこんなの書くぐらい思いは募っていたんだけどな。