2004年12月17日(金)の日記

麻雀のルール

 なんてのがmixiのコミュニティで細々と展開されているのだが、まあこの手の話はいつまでたっても統一されないのがまたひとつの魅力でもあるわけで。
 そういえば学生の頃、仲間内で打つ時は「部室ルール」「○○ルール」といった感じで打つ場所によって細則が異なっていた。当初はどこで打つにもサークル内統一ルールが採用されていたのだけど、それは麻雀人口が少ない時代に作られた「箱割続行・トップ確定33300点・返り東まで行くぜ!」ルールだったため、コタツの後ろで待つのが嫌な私が半分ゴリ押しで改正したのだった。多分1990年ぐらいの話。
 当時の改正案、主な内容はこんな感じ。

  • 配給原点を27,000点から25,000点に
  • トップ確定を33,300点から30,000点に
  • 十三不塔、三(四)連刻、一色三(四)順、槓振りの廃止
  • 人和(純正一巡内で親以外からロン)を廃止
  • 第一自摸以前の八種九牌倒牌による流局を廃止
  • 国士十三門、純正九蓮、大四喜、四暗刻単騎の六倍満を廃止
  • 国士(十三門)のフリテンロンを廃止
  • 国士の暗槓槍槓ロンを廃止
  • 南場以降も不聴親流れに
  • オーラス和了止めを許可
  • 槓ドラは即乗り・表示牌即公開に
  • 槓裏ドラを有効に

 書ききれん。多分これの3倍ぐらいあった。
 改正の素案というかベースになったのは、かのバカヅキハリケーン公式ルール。このうち幾つかは強硬な反対により採用に至らなかったが、自宅で囲む時はかなり市井のフリー雀荘に近づけたルールでやっていた。押し入れを探せばまだ「自宅ルール」を細かく記した一太郎Ver3のファイルが5インチフロッピーで転がっているはず。
 いまや神戸の雀荘でも積み棒1,500点とか沈みウマ無しのワンスリーなんてのが普通に見られるようになって来てるわけで、そりゃ学生ルールにも色々変動が出てきて当たり前なのかも知れない。
 しかし私が麻雀覚えた頃も十分「最近の学生は麻雀しないよなあ」なんてことが言われてたわけだが、しぶといね。3~4歳下ぐらいからはもう「ファミコンで覚えました」という奴らが出てきていたけど、今じゃそれが当たり前なんだろなー。

最近聴いたアレの履歴で

 ローカルの「ごった煮フォルダ」から再生する際に情報を取得失敗する対処として色々やった結果、SHOUTcastラジオを再生したとき曲が更新されても延々と同じタイトルが表示されるという問題が生じていた。
 もうホントあちこち弄くったせいで要因の切り分けに苦労したわけだが、先ほど「MediaLibraryのメタデータオプションでデータ不足時の推測補完を無効にしていた」ためだと判明。
 確かにそのへんも弄ったんですけどね。でもプラグインに渡すファイル情報が(再生に直接関係ない)ライブラリの「表示」設定に依存するってのは外部に提供するAPIとしてどーなんすか_| ̄|○
 ふと気付けばおおくぼさんは割とあっさり対応された模様。やっぱSpyAMPも試さんとアカンか。
 J六
 私が入学した時はまだ国鉄民営化してないからジェイロクはあり得ないわけだが、修士まで入れ替わるぐらいから呼称が定着していくというのは何となく納得のいく結果だったりして。
 ゲームinn六甲を「ゲーロク」と呼ぶのを初めて聞いたのは多分91年年か92年頃だっけか。グランド六甲=グラロクはもうちょっと前だったような気がする。

今日の懐メロX

Hysteria
DEF LEPPARD
“Hysteria” [1987]

 実態としてもブームとしてもそれほど大きくなかったNWOBHMがいつまでも語り継がれるのは、終焉を迎えた後も枠の外にあったアーチストへ恒久的な影響を与えたからだと言われる(多分)。
 そしてその中にあった彼らやIRON MAIDENが、むしろそのテイストを薄めることにより存在し続けることができているというのは実に彼の国らしい出来事だと思ってしまうのだ。
 大英帝国万歳。

ギャー繋がり

 林檎坂日記12月16日分。
 音の印象からするとたぶん私はこっち方面に行ってしまうでしょう。
 そしてそういえば「スガ“同い年”シカオ君がやつらの足音のバラードを歌っていたなあ」とか、「新譜には入ってないんだなあ」とか。