四部作。

 珍しく大作(ただしオムニバス)の夢を見たので残しておく。
 自覚しないうちに追いつめられてたりするかな>わし

夏の陽に白く染まった街をよろよろと歩く。たどり着いたいつもの商店街は、その端の入り口から黒い冷気を流しだしている。覗き込めば子どもの頃とまるで変わらない店なみが、不釣り合いなほど広い通りの両端に連なっている。誰もいない、ひんやりと踏み固められた通りを歩く。四辻から右手をのぞき込むと、そこには「子どもが行っちゃいけない通り」が薄暗くうねりながら視線の届かない範囲まで続いている。終わりのない商店街。でも僕はその先に日差しの白と陰の黒で塗り分けられた甍の波が続いていることを知っているし、濃い緑色の山肌がすぐ後ろまで迫っていることも知っている。満足して左手に振り向くと、数軒先で途切れる小径の先から変わらず眩しい光が溢れていている。暗がりから目をこらしてもその様子はわからないけれど、僕はその先に広がる熱い砂と海の冷たさを知っている。自分だけの安心感。

 最初に見たこのセッションは幼年期の自分に相当するのだろう。
 のぞき見る光だけですべてを悟る子どもだった。狭い世界の外側は知識として知ればもう満足で、実際に冒険して確かめようとはしなかった。その知識は間違ってはいなかったのだけど、どこまでも風景で自らが関わるようなことはしなかったし、したいとも思わなかった。
 自分のいる世界が天国でないことはわかっていたけど、それでも十分に満足していた。

雑居ビルの入り口。何の変哲もない、薄いアルミのドア。乾いた音を立てながら、粉をふいたアルミのノブを回す。入り口のすぐ左には、人がすれ違うのに厳しいほどの狭い階段が見える。登る。部屋に入る。廊下を歩く。廊下を歩かずに別の部屋に入る。反対側の階段から降りる。渡り廊下から隣の棟へ移る。勝手口から外に出るとアーケードはもう終端を過ぎていて、白い地面に落ちた真っ黒な自分の影に驚かされる。慌てて隣のビルへ逃げ込む。部屋に入る。反物。布団。ダンボール紙。本。ビニール袋。さらし木綿。どの部屋も乾いてかさ高く白っぽい何かが占有している。悪戦苦闘しながらわずかな隙間をすりぬける。ようやく廊下に転げ出ては「もうやめよう」とその度ごとに思うのだけれど、足は勝手に次の部屋へ、次の棟へと進む。建物の中まで白に乾かされて、逃げ場はどこにもない。

 膨張する正義をずっと持てあましていた。その乾いた毒にあてられていた。
 それでも、「本物の光」に晒されて己の脆弱な正義が砕け散るのは見たくなかった。
 自分が輝くことのできる陰を、ずっと求めていた。
 それは間違いなく少年期の自分だ。恐慌ぶりも含めて疑いようがない。

モーターパラグライダー、あるいはそのようなものに乗っている。でももしかしたら、体ひとつで飛んでいるのかもしれない。自由の利かない軽快な滑走。爽快で緩慢な滞空。小さな半島の南側を半周する。四十五度の傾斜に逆らうことなく刈り込まれた美しい芝生をかすめる。視界いっぱいに途切れることなくスクロールし続ける緑の壁。そこに自分の影は落ちない。傾いているのは自分か、それとも世界の方か。日も暮れるころ、岬の港町に降りたつ。滅多に通らない電車を首尾良く捉え、半島の北側を移動。窓の外は灯かりもなく、各駅停車の硬い座面と振動がここちよい疲労を分泌させる。ここは眠ってしまっても大丈夫な場所。この線路の向かう先は僕が帰るべき場所。時折思い出したように車窓を照らすネオンが、安心感と高揚感をくれる。飛んでいるときよりも浮かれている。

 これは難しい。類似した夢はこれまで何度も見ているから、特にいつ頃の記憶というアンカーがない。
 でも、特に二十代のはじめから中頃にかけて「羽毛のように風に揺れながらあちこちへと飛び回る夢」を多く見たこと、現実の世界でも箱庭で予定調和の浮沈を繰り返すだけだった学生時代を思い返すと、当時の自分を映し出している思えば実に得心のいくカット割りだ。ただ、モチーフはあまりに陳腐。

山奥の乗り換え駅。ホームには屋根もなく、雪の被膜で覆われた谷間の風景に、辿ってきた線路の黒い線がアクセントを添えている。色、熱、加速度。波打っていたすべてが、蠢くことも許されずただ鎮められている。内側から凍っていく自分の身体から抜け出さなきゃと思うけれど、ただ立ちつくすことしかできない。後ろへ、横へと振り返ればそこには違う何かがあるのに、棒のような脚を踏み出すことができない。微動もせずもがき続ける朽ち木を風景の中から自分が見つめている。もう白く曇ることもなくなった吐息が、肺の奥から曇天の無響室へとゆっくり流れ出る。息苦しいほど濃い緑と深い碧の中でコンヴァーチブルを走らせた興奮はいつのことだろう。疲れを知らない退屈と静穏が、思考を助詞の単位で切り刻んでしまう。

 嵐は去った。爪痕は確実に残されているけれど、新たな歩みを妨げる物はもうない。
 なのに、静かに狂ったまま立ちつくすことしかできない。
 このままじゃ凍え死ぬだけだとわかっていても次の列車に乗れない。
 意志も情熱も判断も知識も、みるみる失われていく。ただ過去を振り返るだけ。
 この起承転結に何か得るものがあるとしたら、それは「現状分析としての第四節」なのだろうか。
 だとしたら、その対処は?
 秋の夜長にはろくでもないことばかり考えてしまう。そして浅い眠り。見事な悪循環。
 単車でもあれば憂さばらしにかっとんで来るんだけどな。スクーターではストレス増やすだけっぽいし。