2000年12月18日(月)の○と×

 本日午後0時ごろ、大阪市内から東方面の空が妙だった。
 なんかこう、イメージ的には空が裂けた、みたいな。
 (ところでこの語彙の貧困さはどうしたもんだろうか>わし)
 曇天を何かが突き抜けてラインが残ったような風景で、見る間に普通の空に戻ってしまったのだけれど。
 それと関連しているかどうかは全然わからないが「いろいろ(日記風)」へのリンクとあわせて「お笑いパソコン日誌」に書かれていたのが以下のコメント。

 昨年の今ごろ、私も同じようなものを見ました。そのときは西から東でしたが。隕石が燃え尽きた説?

 実はその前の年(1998年)の12月頭にも、若狭方面へ謎の飛行物体が落下するのが目撃されていたりするんですねー。そのときはフライングあんごるもあとか言ってましたが(笑)

 随分長い間気になっていたのだが、ようやく駅前で売っているたこ焼きをゲット。
 味は……あじは……うきゅー!?(汗)

×

 最寄り駅前の旧い木造住宅が、とうとう取り壊された。痩せた老婆が住んでいるのだけは知っていたが、同じ町内でもないので立ち退き云々に関するうわさ話とかは聞いたことがない。
 土地の有効活用・防災性能の向上・駅周辺の機能集積という観点からすれば、確かにその家はそれらの阻害要因にしかなっていなかった。確認はしていないが、恐らく駅広の拡張計画も随分前から決定されていたのだろう。
 気持ち半分の賛成がどれだけ集まろうとも、ひとりの100%の拒絶を押し切ることはできない──家屋が取り壊された後に残った、廃材だらけの小さな区画に雨が降るのを眺めながらそんなことを思った。
 法など持ち出すまでもなく、感情的かつ非現実的な意見であることは自分にもわかる。「まちづくり」などと称して人の暮らしを類型化する仕事に携わっているのだから、震災で生活基盤のすべてを失った人などから見れば失笑すら許されぬほどの欺瞞に満ちた台詞と取られても仕方ない。
 この家が立ち退くことによって誰がどれだけ幸せになり、誰がどれだけ不幸せになるのか。それが明らかになるのはずっと先のことだ。その頃にはもう、責任の所在すら問えぬ状況になっているだろう。今現在、数多くの都市計画が見直しを求められつつ、その変更に苦慮しているように。
 責任を放棄するわけじゃない。けれど今も、自分の中の結論は二十歳の時に吐いた台詞とほぼ変わっていないようだ。

 「まち」を「つくる」ことが許されるのは、そこに住む人だけである。

 許されざるは我にあり。
 統べる者無き現代、住民不在のまちづくりには破綻だけが訪れる。
 ……なーんて報告書に書いたらどんな顔するかなあ<ぉぃ