コンサルタントは、報告書をつくってナンボという商売ではない。
本来の目的である「クライアントの問題解決」に向けたひとつの手段でしかないソレは、断じて「業務の本質」などではなく、意志決定にたどり着く道のりで流した汗の絞りかすでしかない。だから納品時のあいさつで「いい報告書をありがとうございました」なんてリップサービスを受けても、県の担当者に「他の市町にも参考にするよう言ってるんですよ」と持ち上げられても、単なる紙の束である報告書にはまるで愛着がわかなかった。
それが少し変わったのは、やはり自らのフィールドから一歩踏み出してからだと思う。かつての「課題解決型」から「目標達成型」への変化とも言おうか。ひとつひとつの技術的課題をクリアにする作業へ没頭していては物事が進まないという状況を目の当たりにしたからだろう。いまやそうした「作業としての具体化をともなわない、理念あるいは学習偏重型の組織」を支援(中長期的には改革)していくことが日々のミッションであり、かつて慣れ親しんだ「ロジカルシンキングが通用する世界」を懐かしく思うようになっている。
もちろん、かつての仕事でも「理性的な話が通じない特定多数のステークホルダ」と合意を形成しなければいけない状況は珍しくなかった。でもそこには少なくとも「自分のこと」という切実感と緊張感があり、だからこそ筋道も探すことができた。だから、たとえどれほど無茶を言う相手であっても、全力でそれに応えていこうと思えたのだろう。
そんな時期の自分の活動記録が、ほんの一部だが残されていると知ったのは最近になってからだ。発刊は1996年11月、市の図書館などに蔵書があるのは確認できたが、なんとなく手元に置いておきたくなってAmazonのマーケットプレイスで入手した。編集はコー・プランの小林郁雄氏。復興事務局は自分が携わった地区にもスタッフ(大学時代のゼミの助手で上司の同級生でもあった人ほか数名)を送り込んできていたが、成果品を見ると本当に精力的な活動を行っていたのだと感服させられる。
業務の成果品としての報告書とはやや趣が違うけれど、自分が関わった部分以外からも当時の熱が伝わってくる。実はアツいばかりでなく、自らも抱いていた「空元気の復興が招く疲弊感、拙速な計画決定が生み出す軋み」への危機感も蠢いているのだが、そのカオスもまた(不謹慎ながら)懐かしい。
いまこれを「もう一度やれ」と言われたら、逃げ出さないまでも一歩下がるだけの足場は確保しようとするだろう。もちろんそれ以前に二度と起きてほしくないわけだけど、「物」を残しておきたいという感情とともに、つくづく歳食ったと思い知らされることよ。