「家族の風景」第三話

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「で、何でそのカメラをオレに渡すわけ?」
 正直、親父のどんな大切な想い出が詰まっていようともオレにとっては『ただ古くて扱いづらいカメラ』には違いない。確かに懐かしいとは思うが、オレが持っていても使いこなす前に放り投げてしまうだろう。
「そのまま親父が持ってた方がいいんじゃねえか?」
 親父は長嘆息をつくと、オレの方に向き直った。
「おまえ、最近あかりちゃんと会ってるか?」
 …………
 はい?

「何でそんなこと……まあ、大学入ってからは学部も違うしあんまり会ってねーけど」
「あのロボットが来てから、じゃないのか?」
「それは」
 その指摘は正しい。
 マルチが――本物のマルチが帰ってきてから、オレはあかりを遠ざけていた。
「変な話だがな、おまえがこの先結婚もせずにあのロボットと添い遂げるつもりだとしても、父さんは何も言うつもりはない。それはおまえの選ぶことだからな。特に孫の顔を見たいというわけでもないし、おまえが満足ならそれでいい」
「だったら――」
 そんなつもりはなかった。あかりの代わりのマルチじゃない。だけど、ならどうして親父はあかりを引き合いに出すんだ? それでもいい、と言っておきながら。
「おまえだけの問題じゃない。気持ちってのは、やり取りするもんだ。おまえにも何かしらの心づもりがあるんだろうが、相手にそれは伝わってるのか?」
「あかりは気付いてくれてるさ、オレの気持ちには」
 誘導尋問に引っかかったのは判っていた。けれど、それをどうこう言える立場じゃないことも判っていた。
 落としていた視線を、親父の顔に戻す。親父は、ちょっと悲しそうな顔をして、しかし視線はオレの瞳から離そうとしなかった。すでに発してしまったはずの言葉が喉の奥に詰まって、苦しい。その理由に気付いたのは…たぶん親父の視線のせいだ。
「相手の気持ちに気付いていたとしても、安心できるわけじゃないし沈黙を許せるわけでもないんだ。それぐらいは判ってると思ったがな」
 感じていたそのままが、親父の口からこぼれた。
「そう……だよな」
 誰に悪いってわけじゃない。そろそろ、自分自身の気持ちを整理する時期に来ているのかもしれない。
「このままじゃダメだ、ってことぐらいは感じてるんだろう?」
 それは、あの時の親父の気持ちと同じなんだろうか。
 時間という川の浅瀬に取り残されたこの機械には、親父の想い出がまだ色褪せることなく詰まっているのだろうか。
 親父はこのカメラをオレに使わせることによって、奥底にしまい込んでいた想い出を――今度こそ、本当に流し去ろうとしているんじゃないだろうか。
 そんな気がした。

「じゃあ、もらうぜ。これ」
 どうしたらいいか、まだ判らなかった。あかりのことも。マルチのことも。
 このままでいいような気も、まだしている。決心が付いたわけでもない。けれど、全てはオレが自分で決めなきゃいけないことだ。
 想い出を封じ込め――そしていつか、捨て去ること。オレにできるだろうか。そんな辛さすら受け入れられるほど、それほどに人を大切に思えるだろうか。
「おまえのな、好きなようにしていい。ただし」
 それまでの真剣な表情を一気に崩すと、小さな──本当に小さな声で耳打ちする。

 思い出した。昔は、親父とこうした会話をする機会は何度もあった。
 母さんには内緒だ、男と男の約束だから、と。

「ただしなんだよ」
「母さんには内緒だぞ、俺がまだカメラ持ってたこと」
「…………」
「…………」
 しばらく、間抜け面を見合わせた後。
「――ぷっ」
「なんだ」
「ぜ……全然ダメじゃん、親父」
「何だおまえ、笑うなよ」
 それまでの緊張感から一気に開放されたせいで、横隔膜の痙攣が止まらない。
 収まる様子のない笑いの合間に、なんとか声が出た。
「だってよー、何だかなあ。全然成長してないんじゃねえ? お袋気にすんだったら、オレなんかに渡さないで捨てるなり隠し通すなりしろよ」
「いや、これは余計な心配を掛けないようにだな」
「ダーメダメ、もう全然説得力ねーよ。何だよもう、ちょーっとマジメな話かと思って真剣に聞いてればさあ」
「もういい、メシにするぞ。母さん待ちくたびれてるだろう」
 好き放題言い続けるオレを眺める親父の表情は、一人カメラを眺めていたときと同じだったのかも知れない。その時は、気付かなかった。

 翌朝。
 日曜日と言うこともあってすっかり爆睡モードに入っていたオレは、お袋の呼ぶ声でようやく目を覚ました。時計を見ると、すでに昼を廻っている。
「寝てばっかりだと脳みそ腐るわよ」
 遠慮呵責なくカーテンを全開にして、お袋は階段を降りていく。
 最近の日曜といえば、マルチに起こされた後にそのまま軽く一ラウンドこなすのが日課となっていたこともあり、オレは微妙に不機嫌なまま食堂へ向かった。
「今日はバイトも休みなんだぜ~?」
 食堂に入るなり、不満の声を投げかける。
「いきなり生活のリズム変えると、後で大変なんだから。それに今晩お母さんたち向こうに戻っちゃうんだし、お昼ぐらいいっしょに食べなさいよ」
「そうですよ浩之さん! せっかくご家族お揃いなんですから」
 くそっ。マルチは完全に丸め込まれてしまっているじゃないか。今晩しっかり再教育する必要があるぞ。

 結局、美味そうな匂いに負けて食卓についた。
「……で、親父は?」
「そこまで散歩に行くっていってたから、もうすぐ戻ってくるはずよ」
「散歩ねえ。珍しがられるだけだろうに」
 この新興住宅地では古参に入るうちの家だが、親父たちが職場付近に部屋を確保してからこっち、3~4年の間はあまりいい噂がない。
 いわく、『離婚調停中で息子だけ家に残している』、『実は本当の家族じゃない』――ひどいのになると『両親のどちらかが服役している』なんてのもあった。
 もちろん、同じ時期から住んでいる人たちが説明するのでそんなバカな噂はすぐに立ち消えることになるのだが、その度にあかりの両親から『浩くん、たまには遊びにおいでね』などと気を遣われるのが鬱陶しかった。あかりを避けていた一時期は、特にそう感じた。
「神岸さん家にでも上がり込んでるのかしら」
「えっ──何で?」
 頭に思い浮かべていたヤツの名前が突然耳に入って、オレは狼狽した。
 支度を一通り終え、洗い物を片づけながらお袋は応える。
「一昨日だったかな、何か電話してたみたいだし」
「電話って何の話だよ」
「知らないわよ。オジサン同志で飲みに行く算段でも付けてたんじゃない?」
「最近、つきあい多いのか?」
「そんなことないと思うけど……そもそも帰ってきたときぐらいしか会えないしね」
 オレは、夕べの親父との会話を思い出していた。ひょっとしたら、あかりの親父さんに何か言われたのだろうか。

「だとしたら、巨大なお世話ってモンだぜ……親父よ」
 昼飯にしては豪勢な皿の数々を目の前にしてボーッとしていると、お袋に後ろから頭を小突かれた。
「ゴハン目の前にして何呆けてんのよ。待ってないでいいから、冷めないうちに食べちゃいなさい」
「ん、いただきます」
 当たり前だが、お袋の料理もまた暫く食べられないことになる。よく味わっておくべきだろう。
 味見も兼ねて一通りのおかずを制覇した頃、洗い物を済ませたお袋が前に座った。
「ねえ、浩之」
「ふぁひ?」
「頬張ったまま喋らない!」
 確かに行儀悪い。しかし、話しかけといて勝手じゃないか?
 仕方なく、お茶に手を伸ばす。
「ん、っと……あいよ。何だって?」
「母さんの料理とさ、あかりちゃんのと…どっちが美味しい?」
「はあ?」
 突然の質問に、何と応えていいか判らない。
「何だそりゃ」
「何って、料理よ。あんたが食べて、どっちが美味しく感じるか。結構作ってもらってるんでしょ」
「そりゃまあ何度かは」
「で、どうよ。あかりちゃんの方が美味しい?」
 充電のため、マルチは部屋に戻っている。何となく気になったそれだけを確認して、オレは答えた。
「どうかな……あかりの腕もかなりなモンになってきたし。ジャンルによっては向こうのが上かも知んねえな」
 ごく正直な感想だ。
 確かにあかりの料理はかなりの腕前である。オレが実質ひとり暮らしを始めた頃から何度となく夕食を作って貰っているが、回を重ねる度に女子高生のレベルからかけ離れていく様子が手に取るように判った。

 しかしそれも、こうしてお袋の手料理を食べてみると評価が微妙になる。あかりの料理をうまく感じる理由…その一つが、明らかになるから。
 アイツは――ウチのお袋の味を再現しようとしている。オレの舌が慣れ親しんだ味に近づけようと努力している。それについては、以前アイツ自身の口から聞いたことがあるから間違いない。
 もちろん完全な再現などできるわけもないし、オレが知らなかった美味しさっていうのもあかりに教えられた。だから、それだけでアイツの料理を否定することなどできない。
 もとより料理学校の講師をしているおばさんの直伝なんだし、おそらくはどこへ出しても十分高い評価を受けることができるだろう。それでもアイツは『浩之ちゃんの舌に適うこと』が目標だと言って引かない。
 家庭的な料理ばかりをリクエストするオレの責任かも知れない。しかし、意外と意固地な性格が料理に顕れた結果のようにも思えて、つい思いだし笑いをしてしまった。
「あ、なによ。変な笑い方して」
「何でもねーよ。やっぱまだお袋のが上だな、もうちっと修行させねえと」
「偉そうねえ。あんたの方が愛想尽かされないように気を付けなさいよ」
 憎まれ口を叩きながらも少し嬉しそうな表情なのは、『おふくろの味』に対する自信を取り戻したからだろうか。
「それでも」
 流しの方を向いてしまったお袋は、お茶を入れながら小さな声で呟いた。
「あんたももうじき『あかりの味と違う』とか言い出すんだろうね」
「おい、何ワケわかんねーこと言ってんだよ」
「ん? そうね……もう子離れする時期も近いかな、ってことよ」
 巨大なお世話は、アンタもだ。お袋よ。

「何だ、もう食べ終わったのか」
 額に少し汗を浮かべた親父が食堂に入ってきたのは、お袋がオレの食い散らかした大皿から見事に『一人分の据え膳』を再構築した直後だった。
「いったいどこ行ってたのよ。せっかくみんないるんだし一緒に食べよう、って言ったのあなたでしょ」
「スマン、神岸さんの所で捕まってな。一局付き合わされちまった」
 完全に冷め切ってしまったおかずを前にして機嫌の悪いお袋に対し、親父は予想されたとおりの答えを返した。
「確かに滅多に会えないし、浩之もお世話になってるから挨拶ぐらいはしておいた方がいいでしょうけどねえ…それにしても昼ごはん前にわざわざ行かなくてもいいじゃない。向こうも迷惑よ」
「あ、ああ。そうだな」
 まるっきり歯が立ってない。ゆうべの話を思い出すまでもなく、親父とお袋の勢力関係は手に取るように理解できる。

(つづく)