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「家族の風景」第一話

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 その時お袋は両手を腰に当て、呆れたような顔をしていたんじゃなかったか。
「全く理解できないわ。問題なく使えているものを、なんでわざわざ壊しちゃうのよ」
「壊してなんかいないさ。ちょっとどういう構造か見てみたかっただけだよ。エンジニアとしては当然の好奇心だろう」
 確か小学生の頃。
 ある晩、親父は突如として長年使ってきた一眼レフの分解を始めた。
「どうだか。浩之がおもちゃを壊して遊んでるのと同じにしか見えないんだけど」
 その後のやりとりはよく覚えていない。
 だけど、ただ一つ──翌日の運動会でオレとあかり、雅史の三人がビデオカメラを持ったお袋に追い回されたこと。それだけは『事ある毎に持ち出される』あかりの想い出話として、しっかりと記憶に刻み込まれている。

家族の風景

「親父、結局あのカメラってどうなったんだ?」
 久しぶりで家族が揃った週末。夕食の準備をするお袋とマルチを横目で見ながら、オレは親父に長年気になっていた疑問をぶつけてみた。
 親父はまるで見知らぬ人間に名前を呼ばれたような、微妙な表情を返す。
「おまえ、よくそんなこと覚えてるな」
 驚くのも道理だ。あの頃オレは、まだ物心付くか付かないかぐらいだった。
「他のことは全然覚えてねーよ。ただあの時、カメラ持った親父がいなかったことだけはしっかり覚えてるんだ……そーいや何でだろ」
 『ふむ』と一言いうと、親父はタバコに火を付け、ソファに身を投じた。

「あれはなあ、父さんが少ない初任給で買った初めてのカメラだったんだ」
 親父は何やら遠い目をしてそう言った。
「あの頃はひとり暮らしを始めたばかりでな。喰うもの喰わずに趣味の品を買い漁ったもんだ。結婚したら自分の趣味に金は掛けられないだろうって思ったもんだから、もう必死だったな……」
「いや、別にそんなことを聞きたいんじゃなくてよ」
「例えばおれの部屋にあるゴツいレコードプレーヤーとか管球式アンプとかは、全部その頃に揃えたものだ。結婚して、おまえが生まれた後じゃなかなか踏ん切りが付かなかっただろうな」

 うそつけ。
 オレの記憶に残っている分に限っても、親父はかなり好き勝手な買い物をしている。車だけでも既に五台は乗り換えてるぐらいだ。パソコンは毎年新型に買い換えてるし……まあ、これは一応仕事で使ってるらしいけど。
 家のローンを払いながらこれだけの買い物。オレん家って、実は裕福?
 だったら仕送り額ももうちょっと増やして欲しいものだ。
「まあ結局母さんも仕事を続けるってことになったから、実際には生活に不自由しなかったわけだが……まあ独身時代の思い出の品であることは確かだ」
「で、カメラは? オレが聞きたいのはあの後どうなったかってことなんだけど」
 いつの間にかフィルターまで吸いきっていたタバコを灰皿に押しつけると、親父は溜息ひとつ付いて二本目のタバコに手を伸ばした。
「あなた。食事の前に吸っちゃダメ、って言われてるんじゃなかった?」
 親父の動作が止まる。振り向くと、枝豆とビール瓶を持ったお袋が立っていた。
「そ、そうだな。止めとく」
「お母さま、もう火止めてよろしいですかぁ?」
 台所からマルチの声が響く。
「あー止めてちょうだい。ありがとうね、マルちゃん」
 どん、とテーブルの上に晩酌セットを置いて、お袋は台所へ戻っていった。

 お袋とマルチは、実に仲がいい。
 メーカー系の研究所に勤める、いわゆるエンジニアなウチの両親だが、どちらかというとお袋の方がマルチの存在に対して寛容だ。というよりも既に『女の子が欲しかったのよ~』的なノリである。
 呼び方にしても『ちびまる子ちゃんじゃねーんだから、もうちょっと何とかなんない?』と度々文句を言っているにもかかわらず、『いーじゃない。こっちの方が呼びやすいし、日本人的でしょ』という訳の判らない理屈で《マルちゃん》の呼称を定着させてしまった。
 親父は親父で、マルチに対しては学術的興味を持って接しているようだ。時々禅問答みたいなことをして、マルチを混乱させている。
 疎外感を与えないだけマシだとは思うものの、うちの両親はマルチの主人が『オレ』だということについて見事に無視してくれている。バイト代と仕送りの一部までマルチのローンにつぎ込んでいるオレは、何となく割り切れない。
 《うちの子》《うちのメイド》という両者の認識の相違など、もはや些細なことだ。

「浩之」
 親父がビール瓶を構えて待っている。
「あ、サンキュ」
 よく冷えたグラスに、黄金の液体が注がれていく。
「こうしておまえと差し向かいで酒が飲めるようになるとはなあ」
 お約束な台詞だ。本来ならここでしみじみと来るところかも知れない。

 ――だがしかし!
 うちの親父に、この台詞を言う資格はないのだ。
「よく言うぜ」
 コンパで鍛えられた返杯テクニックを披露しつつ、オレは毒づく。
「未成年の頃から晩酌に付き合わせてたくせに。今さら何の感動も湧かねーよ」
 まあ、おかげでどちらかというと酒には弱い方だったオレも人並みに飲めるようになったわけだが。
「うっ……し、しかしまぁ、おまえも働くようになってだな…」
 しかも何となく話を逸らされているような気がする。
「マルチの借金返済でバイトしてるだけだろ。親父、呆けて来たんじゃねーか? オレはまだ学生だ」
 『おお』と得心したように両手を合わせる。
 やばいな。マジでアルツ入って来てるんじゃないか?
「だーかーらー! カメラだよカメラあ。あの一眼レフは結局どうなったんだ!?」
 しびれを切らして、オレはつい大声を出した。
「ばっ、バカ! そんな大きな声で……」
「なあにー? カメラあ?」
 台所からお袋の間延びした声が聞こえた。
「ああ……」
 途端、親父は頭を抱えて小さくなってしまった。ひょっとして、お袋に聞かれたくなかったんだろうか。けど、この場合お袋は完全な当事者だ。今さら聞かれて困るってこともないだろうに。
「なになに? 浩之、カメラ買うの?」
 どうやら夕食の下準備が整ったらしく、エプロンを外しながらお袋がダイニングに戻ってきた。
「そうじゃなくて。ほら、親父が昔カメラ壊したろ」
「浩之、違うぞ。あれは壊したんではなくて」
「けど結局動かなかったわよねえ」
 お袋の一言で、親父は完全に沈黙してしまった。
「やっぱりな。いや、次の日お袋がビデオ持ってたから、きっとそうなんだろうとは思ってたけど」
 一瞬驚いたような表情を見せ、お袋はテーブルに付くと嬉しそうに話し始めた。
「あらー、よく覚えてるわね。そう、次の日あんたの運動会だってのにいきなり分解し始めるから母さん怒ってね。『もし次の日使いものにならなくなってたらどうすんの』って怒鳴ったのよ。そしたらさ、父さんなんて言ったと思う?」
「さあ」

 お袋が少しむくれてオレのグラスに手を伸ばしたとき、マルチが二本目のビールとグラスを持ってやってきた。
「お母さまもどうぞー。お飲みになられますよね?」
「あらマルちゃん気が利くわねー。ありがとう。あ、あんまりたくさん入れないでね」
 マルチもすっかり家に馴染んできたなぁ…と感慨を深くしていると、お袋は既にマルチの差し出した瓶の下で空にしたグラスを構えていた。
「……おい。たくさん入れないで、って何だよそのピッチは」
「ふっ、あんたもまだ年期が足りないわね。せっかく瓶で飲んでるのに、飲み干せないほど注いで気が抜けるの待ってちゃ意味無いでしょ」
 なるほど、小ジョッキを頼むのと同じ理屈か。また酒の席での蘊蓄が増えたな。
「二人とも向こうじゃ毎晩飲んだくれてんじゃねーだろーな……って、あれ?」
 親父の姿がない。振り返ると、階段を上ろうとする後ろ姿が見えた。
「親父! メシどうすんだよ」
 一瞬、動作が止まる。
「あなた、もう十分したら降りてきて下さいね。せっかくみんな揃ったんだし、一緒に食べなきゃ淋しいでしょ」
 親父はおそるおそると言った風に振り返ると、力無い笑みを浮かべて一言
「あ、ああ。すぐ降りる」
 とだけ残して、そそくさと二階に逃げてしまった。

 一体何なんだ。カメラにまつわる、何か深刻な話でもあるんだろうか。今の対応を見ている限りでは『親父がお袋に弱みを握られてる』って感じだぞ。
「まだ未練があるのねー。しょうがない奴だなあ」
 三杯目のビールを飲み干して、お袋が呟いた。このピッチの早さは何だ…
「未練って、カメラに?」
 オレも二杯目をマルチに注いでもらう。
「というよりは、それにまつわる思い出…かな」
「なんだよ、面白そうな話だな」
 俺は少し身を乗り出した。
 元々はカメラ本体が気になっていたはずなのに、そんなことはすっかり忘れていた。

(つづく)

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