「家族の風景」第二話

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 愉しそうな、しかし多少ながら良心の呵責も伴う――そう、子供の頃のイタズラを思い出すような――そんな表情を一瞬見せたあと。
 お袋は枕元で物語を聞かせるような、やや大袈裟な口調でこう言った。
「あの時ね、『もし明日動かなかったらどうするの』って怒った母さんに、父さんこんな事言ったのよ。『もしこのカメラが組み上がったとき動かなかったら、何でも言うこと1つだけ聞いてやる』ってね」
「無茶な約束するなあ。親父って元々そんなに機械に強くないだろ?」

 そう。親父はエンジニアにあるまじきメカ音痴だ。電子レンジは酒の燗しかできない。ビデオの予約もできない。パソコンは多分ワープロにしか使っていないだろう。親父が会社で何をやっているか、オレはあまり想像したくない。
「そうね。エンジニアって言ったって、あの人の場合は直接機械いじる方じゃないし。そっち方面だったら、機械科出身の母さんの方がまだマシだわ」
「げ…… お袋って機械科なの? 工学部ってのは聞いてたけど」
「そう。母さんが工学部機械科で、父さんが理学部の物理。だからあんたは元々理系に進むのが宿命づけられてたのよ」
 なんだそりゃ。そんなの全然関係ないだろ。
 確かに今でこそ工学部に在籍しているが、それはロボットの――マルチのことをもっと詳しく知りたかったからだし、高一までは数学や物理ってどちらかというと嫌いな方だったんだから。
 それに親父にしてもお袋にしても、家に仕事を持ち込まない人間だったから、子供の頃は親の職業なんて全然意識したことはなかった。中学校に入って『両親のお仕事は?』と訊かれたとき、『会社員です』としか答えられなくてちょっと情けなかった覚えがある。

 いや、そんなことはどうでもいいんだ。それより親父の思い出の話。
 脱線した話を元に戻そうとしたとき、マルチがなにやら感動した様子で呟いた。
「そーなんですかぁー。じゃあもしかしたらわたしの製作に携わって頂いてた可能性もあるんですねー」
 マルチよ。
 それは『よそのお家に生まれていたら』っていうぐらい意味のない仮定だ。
「そーねぇ、親会社も一時参入を考えてたみたいだし。もしそんなことになってたら、父さんも母さんもそっちに回されてたでしょうね」
 うげ、やめてくれ。両親の作ったロボットと息子が……って洒落にも何もなってない。
「けどマルちゃん。あなたの親御さんたちは大したものよ。同じエンジニアとして尊敬するわ。こうしてあなたがひとつの命としてここにいられるのは、ある意味奇跡みたいなものなんだから」
「あ、はいっ!わたしも感謝していますっ!」
「なあお袋、やっぱりマルチってそんなに凄いのか?」
 オレは(本物の)マルチが帰ってきて、はじめて親父たちに会った時のことを思い出していた。
 あの時は、ふたりとも玄関で固まっちまって大変だった。お袋は5秒で立ち直ったけど、親父はしばらく一人でぶつぶつ言ってたっけ。
「あのね、浩之。この際だからはっきり言っておくけど、あんたが払ってるマルちゃんの代金なんて、この子の本当の価値に比べたら百分の一にすらならないんだからね」
「えーっと百分の一って事は――っておい! そんなもん、どこの誰が買うんだよ!」
「分かんない子ねえ。だからお金で買えるようなものじゃないのよ。だいたい企業秘密の固まりみたいなプロトタイプがこんな普通の家にあるだけでもとんでもないのに、この子のパーツには常識では考えられないぐらい奢った素材が使われてるんだからね。AIにしたってそうよ。HMが商業ベースに乗っちゃってるからその可能性は低いけど、こんなにフィードバックが早くて自然な学習型AI、本来ならノーベル物理学賞ものよ? それを裏打ちする脳生理学とナノテクノロジー……いくら来栖川とはいえ、常識で考えたら単一の企業で実現できるもんじゃないわ。民生用のHMに搭載されなかったのも当然ね。少々ヒットしたところで採算が合うわけないわよ」
 うっ……。人工知能概論、再履受けてるところです……。材料力学も落としました……。
でっ、でもサボってたわけではなくてバイトがちょっと――。
「何ブツブツ言ってんのよ。まあ、学生にコストの話しても仕方ないけど」
 一人で捲し立て、一人で納得したお袋は、僅かに残った最後のビールを自分のグラスに注いだ。

 と、とにかくマルチは凄いらしい事は判った。見直したぞマルチ。なでなでしてやろ……ってあれ?
「ではやはり、わたしの妹たちが心を持つのは無理なのでしょうか……」
 あ、まずい。泣きそう。
「こらお袋。調子乗ってあんまり無神経なこと……」
「あら。そんなこと無いわよ、マルちゃん」

 ――は?
「もう五~六年もすれば、マルちゃんみたいな子がたくさん出てくるでしょうね」
 マルチも意味が捉えられないらしく、疑問符を浮かべたまま呆けている。
「おい! さっきの話と全然違わねーか?」
「違わないわよ。マルちゃんが生まれたのは三年前よね? 十年経てば、少なくともAI部分については汎用型でも楽勝で実装可能な状態になるわ。問題はボディのコストだけど、逆にこっちの方はHMの製造が継続されているうちは、右下がりにしかなりようがないもの」
 なんか『どうせあんたには詳しいこと言っても分かんないだろうから』と端折られているような気もするが、ともかくそういうことらしい。
 マルチの表情も、みるみる明るくなっていく。
「よかったです。今まで妹たちを見ていて辛かったんですけど、先は明るいんですね」
「そう。だから悲しいことないの。十年なんてすぐなんだから、愉しみにしてなさい」
「はい! ――あ、そろそろお魚さんが美味しくなってますね。わたし見てきます」
 すっかり上機嫌になったマルチは、とてとてっ……と台所に戻っていった。
「さーってと。じゃあ浩之、お父さん呼んできて」
「おー」
 食事前にしては妙な話題だったが、まあマルチが嬉しそうにしてるからいいか。
 本来の話題からは脱線しまくってしまったが、それもいつか聞けばすむことだ。

 階段を上り、書斎(と言うほど大層ではないが、親父のパソコンが置いてあるのでそう呼んでいる)のドアをノックする。
「親父、メシできたぞ」
 返事がない。
 もう一度ノックしてみる。
「おやじ! 寝ちまったのか?」
 まさか突然死とか言わないだろうな。
「開けるぞ」
 断りを入れてドアを開ける。こうしておかないと自分の部屋に無言で入ってこられても文句が言えない、という子供の知恵の名残だ。
「起きてんだったら返事ぐらい――何見てんの?」

 親父は、机の上に置かれた『何か』を、ぼんやりと見ていた。
 最初は、昔のアルバムでも見ているのかと思った。親父の表情が、とても優しく見えたからだ。オレの子供の時の写真を眺めているときと、とても似ていた。
「浩之、これな……おまえにやる」
 親父は、両手に抱えていたものをオレの目の前に差し出した。
 それは――あのカメラだった。
「なんだ。まだちゃんと持ってたんだ。けどこれ、動くのか?」
「ああ。今一通り見てみたが、大丈夫なようだ。最近は35mmフィルムも手に入れるのが難しいだろうが、大きなカメラ屋ならきっとまだ置いてあるだろう」
 目線をカメラに落としたまま、そう言った。
 てっきり、親父が壊したまま捨てられたのだと思っていた。それが完動の状態で手元にある。
 ならなぜ、あの日以降親父はこのカメラを使わなかったのか?

「母さんとの約束でな。あの日以来これは一度も使ってない」
「あの、何でも言うこと聞くってやつ?」
 親父は一瞬呆けたような顔をして、オレを見上げた。
「なんだ、母さんから聞いてたのか」
「いや、内容までは聞いてなかったけど」
 約束の内容は判った。金輪際このカメラを使うな、ということだ。しかしその理由が判らない。お袋は何を思ってそんなことを約束させたのか?
「理由、聞いていいか?」
 なんとなく断りを入れなければいけないような気がして、柄にもなくそう聞いた。
 親父はしばらく黙っていたが、のそのそとタバコに手を伸ばし、引き出しからやたらと年季の入ったオイルライターを取り出した。
 『シュボッ』というくぐもった音を立てて、大きな炎が揺らめく。親父はゆっくりと煙を吸い込むと、オイルの灼ける匂いを惜しむように蓋を閉じる。
 数カ月ぶりに使われるとは思えない従順なライターの反応に、親父のちょっとした『もの』へのこだわりを見たような気がした。

「さっき、このカメラを買った頃の話をしたな」
「ああ。独身時代の散財の結果、だろ?」
「まあな。将来に対する漠然とした不安があって、それでも毎日を楽しく過ごすことの方が大事で――父さんの独身時代、最後の風景を切り取ってきたカメラだ」
 その時の親父の瞳は、オレが見ているのとは違う風景を捉えているように思えた。
「浩之。おまえ幾つになった」
「もうすぐ21だけど」
「そうか……ちょうどそれぐらいの歳のころだな。ある女の人と――母さんとは違う人なんだが、父さんは付き合ってた。大学の後輩でな。母さんとは正反対の、どちらかというと控えめな感じの人だった」
 まあ、お袋はオレから見ても『一歩引く』ってことを知らない人間だからな。それと比べりゃ、大抵の場合は控えめという評価をもらえるだろう。
 ただ、やたらとお袋を引き合いに出すのは、今になって昔の恋人の話をするのに、多少後ろめたい気持ちがあるからなのか。
「結局の所、おれが東京に転勤してからは疎遠になってしまってな。しばらくして結婚するという連絡が来たときもそれほど感慨がなかった。ああ、よかったな――正直そんな感じだったよ」
「その頃はもうお袋とつきあってたんだろ?」
「つきあうって程でもなかったな。久しぶりに気兼ねなく話せる女友達ができた――それぐらいにしか思ってなかったよ。ただ、それまで『じっと待たれる辛さ』ってのが身に沁みてたから、あいつのアクティブな部分にはずいぶん救われたと思う」
「ふーん」

 不思議だった。
 朴念仁だと思っていた親父に、かつてお袋以外の恋人がいたと言うことにではなく、そんなことをオレに向かって話しているということが。
「実はな、カメラの件について理由は聞いてない」
「え?」
「結局シャッターが降りないで悪戦苦闘していたおれに、母さんは『もう二度と私の前でこのカメラを使わないで』って言ったんだ。そして、そのままどこかへ仕舞い込んでしまった。おれは悔しいのと情けないので、翌日はおまえの運動会にも行かずに一日中不貞腐れて寝ていた」
 確かに、それまでは――そしてそれ以降、少なくとも中学校の頃までは――イベントとあらば必ずお袋の隣にいたはずの親父の姿が、その時はなかった。
「そして、お隣に借りて母さんが撮ってきたビデオを一人で見て、『もうカメラのことは忘れよう』って思ったんだよ」
「……」
「母さんがどういう気持ちでおれのカメラを封印したのか、それは知らない。というより、もうそんなことはどうでもよかった。カメラは、確かにおれの青春の象徴だった。おれの大切な時間を、おれと一緒に、ずっと見てきた」
「いいじゃん。そういうのって誰にでも有るもんなんだろ?」
「多分な。けど、そればかり見ていちゃダメなんだ。母さんは、もっと浩之と母さんのことを見て欲しかったんじゃないかな。『あの頃が一番輝いていた』って聞くのがいやだったんだと思う。まあ、これは父さんの勝手な解釈だがな」

 親父は、手元に戻していたカメラの巻き上げレバーを廻した。
 ジッ──バシャッ!
 重々しい機械音を立ててシャッターが降りる。電子音しかしないスチルビデオとはえらい違いだ。
「ビデオを見ていて、おれの居場所はここだということがよく判った。想い出なんて要らない……そう思ったよ。それは、今から作っていくものなんだと。だから、母さんがおれに黙って修理に出してたカメラが戻ってきたときも、封も開けずにそのまま仕舞い込んだ」

 では何故、今その封印を解いてオレに手渡そうとしているのだろうか。それを訊かないまま受け取るには、このカメラは重すぎるような気がしていた。なにより、もっと親父の話を聞きたいと思った。
 親父とこんなに話をするのは、どれだけぶりだろう。ひょっとしたら、生まれて初めてかも知れない。

(つづく)