わたしはブーケに手を伸ばさなかった。
何も言わず視線だけを外さないわたしに、純白のドレスに身を包んだ先輩はちょっと悲しそうな顔をしてこう言った。
『カナちゃん、ゴメンね。後に続くあなた達にわたしは何もできなかった。けど、辛いことがあったら今まで通りに相談に来てほしい。わたしができなかったことじゃなくて、あなたにしかできないことを実現して欲しいから』
でも結局、先輩とはそれ以後没交渉になってしまった。
わたしは、立ち止まるのがイヤだった。
後ろを見るのがイヤだった。
立ち止まって、廻りを見てみるだなんてまっぴらだった。
違う価値観を認めることは、自分の存在価値を否定することにしか見えなかった。
そして、おそらく同期では最も優秀だった三品先輩の退職を皮切りに、女性総合職第一期の先輩達は次々と会社から消えていった。
仕事もそこそこに、毎日のようにパーティへ出向く人。
上司に急に愛想が良くなる人。
暇さえあれば履歴書を書き直している人。
転職情報誌を常に手放さない人。
各々が、それぞれの不安を解消する手段を模索していた。
「カナコ、似てきたよね」
二杯目のアッサムをカップに注ぎながら、千絵が呟く。
「誰によ」
素っ気ない返事を返すわたしの前では、ホットミルクがかろうじて湯気を立てている。
最近胃の調子がよくない。定期診断で問題が出るほどの症状ではないが、まず間違いなくストレスによる胃炎だろう。医者に行った方がいいのは判っているのだが、『休みなさい』と言われたときの返答が用意できないまま延ばし延ばしにしてしまっている。体重もベスト時から三キロぐらい減っていた。
「先輩よ、三品さん。あんた入社直後はネコのノミみたいにくっついてたじゃない」
ずいぶんな言い方をしてくれる。
でも、千絵との歯に衣を着せない会話は今のわたしにとって貴重な精神安定剤だ。慕ってくれる後輩はいるし、上司の信頼も篤い方だろう。しかし、どちらにも一歩引いたような印象を拭いきれない。野良猫に手を伸ばすような、ややよそよそしい感じがいつもどこかに漂っていた。
──泣いてる子供のようにでも見えるのかしらね。
「ネコノミとは何よ。確かに三品先輩からは色々教わったけど、たった二年の間よ。だいたい先輩は二十五で辞めちゃったんだから、そっから先は比較しようがないじゃない」
「まあねー。けどなんていうかさ、やっぱ感じは似てるよ。わたしも結構ファンだったし、それなりに観察した結果としてね」
「わたしを? やあねえ、旦那が泣くわよ」
「おバカ……」
一息ついて、同時にカップをすする。
社屋の最上階にあるこのカフェテラスは、基本的に役員および同伴者の利用に限定されている。ただし、秘書課の女子職員に関しては、昼休みに限りフリーパスという粋な計らいがなされていた。
もちろん通常の客席からは死角になっていて、来客に余計なことを言われないように配慮ずみだ。
千絵はわたしと逢うとき大抵ここを利用することにしていたので、最近ではわたしも顔馴染みになってしまった。待ち合わせて先に一人で訪れることも何度かに渡っている。
「……それで」
「ん?」
「どこが似てるって」