いつまでもお若いですね、という表現がある。
あるいは子供が体だけ大きくなったようだ、とも。
この場合はどちらが正しいのだろう。
今、自分の目の前には新しい上司がいる。
背は一八〇ぐらいだろうか、この歳にしてはかなり大きな方。きっと子供の頃は“総身に知恵が回りかね”などと言われたに違いない。
四十歳を越えているようには到底見えない。場所を選べば、わたしたちと同世代だと言われても全然疑問に思わないような気がする。
「失礼失礼。フジムラ……カナコさん、だね。はじめまして、外園です」
そう言って、上司は握手を求めてきた。
「はい。どうぞよろしくお願いします」
どちらかというとお辞儀の準備をしていたわたしは、わざとまごついた素振りで改めて姿勢を正し、右手を出した。
「どうも日本には握手の習慣が定着していないようだね。大抵の人は私が手を出すと妙な顔をする」
元プログラマにしては矢鱈と節くれ立った大きな手に振りまわされる。外園部長は両の眉毛を思い切り八の字にして、人懐っこい表情を少しだけ崩した。
『握手がどうのという以前に、部長の迫力に気合い負けしてるんですよ』
そう言ってみようかと思ったが、どう工夫してもイヤミな台詞になってしまいそうで、止めた。
「スキンシップに弱いんですよ。子供の頃からそういう習慣があまり無いんです」
「残念なことだね。肌を触れあうことでより解り合えることもあるだろうに」
セクハラスレスレの台詞が、部長の口から出ると全然そういうイメージで聞こえないことにわたしは軽い驚きを覚えた。
けど、肩に置かれた左手は余分だ。
「しかしメールを出しといて何だが、こんな朝っぱらからやってくるとは思わなかったな。フジムラさんはいつもこんなに早いの」
先ほどまで読んでいたと思われる本で膝小僧を叩きながら、部長はその人懐っこい目でわたしを見上げた。
三人掛けのソファを半分占有する体躯に、吊しのスーツが全然似合っていない。そしてその体をさらに大きく見せる長い腕の先には、文庫版の『日本三文オペラ』。
開高健。悪い趣味じゃないけど、三十年間アメリカで過ごした人間が読む本としては、かなりの異色だ。
「実は挨拶だけです」
わたしはできるだけ素っ気ない素振りを見せながら、部長の言葉を否定した。
「つまらない形式で大切なお時間を割いていただくのは心苦しいですし、本日はこれで失礼いたします。わたくしの方は残務と申しましても同僚が継続して担当するものばかりで、既に引き継ぎも終わっておりますから、新設部署での業務で準備が必要なものがありましたらメールでお知らせ下さい。できる範囲で対処いたしますので。では」
ノーブレスで言うだけ言って十五度の礼をすませると、わたしは待機室のドアに手をかけた。
「ハハハハハ……本当に話通りの人なんだな、君は」
背後で高らかな笑い声が響いた。
ドアに掛けた手を留め、後ろを振り返る。
そこには、腹を抱えて笑う「大きな子供」がいた。
このまま無視して出ていくという手もあったのだが、単純な興味に突き動かされてわたしは開けかけたドアをゆっくりと閉じた。
極上の笑みを浮かべ、ゆっくりと、そして大きな声で。
「話って、何の話でしょうか」