「カナコさ~ん、これホントに今週中ですか」
部下の男の子が情けない声を上げている。
「今までずいぶん引っ張ってきたんでしょ、観念なさい。それに、来週になったらそれどころじゃないかも知れないよ」
「それどこじゃないって、何かあるんすか」
わたしは前半部分を気にして欲しいんだけどね。
「何かあるかも、ってことよ。いつまでも居ると思うな優しい先輩、ってね」
「やさしいって……えーっと、だれのことでしょう」
きょろきょろと周りを見渡す彼の周囲で失笑が湧く。
この子も好きなことだけやらせておけば優秀なんだけどな。もうちょっと頑張ったら自分で仕事も選べるようになるのに。
でもまあ、その分下の人間が苦労するのはいっしょか。わたしにとっての君たちがそうであるように。
「まだ優しさが足りなかったかしら」
にっこりと笑顔、でもドスを利かした声で。
学生時代のヴォーカルトレーニングの成果は、意外なところで発揮されている。
「いっ……いえ、満足です! 今週中っすね、絶対仕上げます!」
「頑張ってね」
準備はしていた。
でも、自分自身に降りかかってくるとは思ってなかった。
「いい職場だったよねえ、ホントに」
さすがに食欲もなく、朝食代わりのホットミルクを流し込む。まだ出社には早いが、この体調で満員電車に乗るのは限りなく自殺行為に近い。ちょっと早めに出社することにした。
朝練だろうか、スポーツバッグを背負った学生服に追い抜かれながら、ゆっくりと駅に向かう。頭の中は未だに状況把握ができていないままで、イライラを助長していた。
『とにかく、外園部長に会うこと。それから、千絵の情報。辞令が出た今なら、経緯も本音も漏らす人間はいるだろうし。引継期間の間に環境を作っちゃわなきゃ、後でろくな目見ないもんね』
まとまらない思考のまま、しかし会社には着いてしまう。
八時前、さすがにオフィスは閑散としている。バインダーやら段ボールやらが山積みされ、すでに作業を行うことの出来る状況にない自分の机を見て、溜息が出た。
そう言えば、昨日の午前からメールチェックをしていない。今のところ急を要する案件はないはずだが、とりあえず見ておこうか。
普段は付けたままにしてあったパソコンの電源を、久しぶりに入れる。随分と待たされた後、メールソフトが立ち上がる。
未読が三通。一通は夕べの飲み会の案内、もう一通は総務が発行しているメールマガジン。
「?」
三通目、一番新しいメールのアドレスに見覚えがない。
From: y.hokazono
ホカゾノ……
……外園部長?
慌ててメールを開く。
はじめまして。
この4月よりあなた方の上司となる外園です。
引継等大変とは思いますが、がんばってください。
春からは心機一転、新しい職場で共にたのしくやりましょう。
なお、三月末日までは関連事業部におりますので、
質問事項等ある場合は遠慮なく会いに来て下さい。
メールでも結構です。
Yuya Hokazono
p.s.藤村さんへ
今週中、いつでも良いので一度顔を出して下さい。
就業時間内はたいてい在席していると思います。
発信が今朝の六時。しかも社内から。
さすが変人と呼ばれるだけのことはある。
「善は……急げよね、やっぱ」
頭痛は引いていた。