「 2005年02月 」一覧


2005年2月24日(木)の日記

徹底分析 伝説のレーシングバイク その後

 あきらめるのも悲しいので身内MLを私物化して「み~た~い~」と駄々こねたところ、とある大先輩が録画してくださって現在視聴中。
 たまらーん。燃えー。

今日の懐メロADSL

Something So Strong
CROWDED HOUSE
“Crowded House” [1986]

 (4)の”Don’t Dream It’s Over”が代表曲ということになろうかと思いますが、今回は元気一発オロナミンCなこちらの曲を。まるでマイケルJフォックス主演映画のような爽やかさ。
 今振り返ると意外にいい曲じゃん、みたいなことも思ってしまいますが当時は似たようなバンドが多かったのも確かで。特にグラスタイガー/カッティングクルー/ミスターミスター/ゴーウェスト/ワンチャン/コリーハート/ハワードジョーンズあたりはごっちゃになってる人も多いと見た。いや、もう20年経とうかってんだから当たり前だけど。

立ち位置

 hirax日記。

その理由は「左右の脳の役割の違い」というありがちな推定・説明がされている。もっと大きな原因が他にあるような気も。

 私の場合、「左はジャブ(警戒)右はストレート(本音)、だから基本的に警戒してかかってくる初見の相手に対しては(1)懐に回り込まず向かって左側に立ち、(2)自分は身体を開け」と言うてきました。まあ結果として右利きにはよくあるポジショニングに落ち着くわけで何の目新しさもないわけですが……。
 でもオイラのよそゆき顔って左側なんだよな_| ̄|○ 第一印象あまりよろしくなーい。

買えんなー、と思ってる間に

 PSXも生産中止してましたか(fromハルヒビ)。
 160GBのDESR-5500が税込み56,515円。うーん。
 PS2機能の方をオマケ的に要望する層は既に少数派ってことなのかねえ。このままのコンセプトでSONYらしく煮詰めていって欲しかったのですが。
 RDは心情的に手を出しにくいんすよね。いろいろあって。

ときめきメモリアルOnline

 あちこち経由で。帰って来れなくなる人の数が半端でなくなりそうな気も。
 スラドでは色々な代替案が出ているけど、グリーンウッドとか男塾は確かにネタとして楽しそう。

今年から女子生徒が15人くらい入学してくるのですよ

 なんてのを見ると「ああ鐘ノ音学園オンライン」とか思ってしまう自分も十分にダメ。
 そういや最後にTRPGやったのいつだっけ。


2005年2月23日(水)の日記

花粉症の直接的な症状は

出てないのですが……。

  • やたら眠い
  • のどが渇く
  • 全身倦怠
  • お通じストップ

という「抗ヒスタミン剤を服用したときの副作用」に類似した症状がコンボでやってきてます。
実は抗体ができてたりすると面白いな。面白いだけで他には特にいいことなさそうなのが悲しいが。とりあえずしんどいので今日はとっとと風呂入って寝るー。

ホンダ、日本初の2輪車向けナビ

サンケイ。

4月28日から販売すると発表した。17万3250円(取り付け費を除く)。
(中略)
当面は、若者を中心に売れ行き好調な大型スクーター「フォルツァ」シリーズに、純正オプションとして搭載。順次、他の製品にも対象を拡大する。

まだウェブには出てないか。
つか準公式オプションにオーディオキットなんてあんだなー。GoldWingの時ですら思ったがDQNアクセだろそりゃー。

今日の懐メロCATV

Come As You Are
PETER WOLF
“Come As You Are” [1987]

♪君はセンチメンタルかんが(/・∀・)/るー☆
いや、イントロまるっきり一緒なのに当時まわりではあまり話題になんなかったからさ>Ribbon一曲目
どこにも在庫みつからんので試聴できるmp3.comにリンクしときます。聞き比べドゾー。
両脚揃えて町中をジャンプして回るという見てて疲れるPVでした。Jガイルズバンド時代のCenterfoldにも通じる何かが。パクリ曲同様、本歌も脳天気なサウンドではありましたが。スタイル不変という意味ではアメリカ版ミックジャガーでありブルース版イギーポップでもあるか。
曲名アルファベット順にやってきたけど当初の予定が狂って100曲を待たずに準備したネタが枯渇。というわけで残りの17曲は順不同。

芦屋市の復興区画整理が完了

僕は4年前「西部第一地区」のさらに隣、神戸市側に住んでいた。市境を越えると突然更地が増える様子はちょっと異様に感じたものだ。もちろん自分の居住地(森南町周辺)も結構な被害を受けていたわけだが、復興のペースがまったく違った。
芦屋川を挟んで東側、国道2号から阪神沿線にかけてのエリア「芦屋中央地区」は、震災直後に整備案作成のための現地調査で歩き回った。通りの角を曲がるたび、膝から下が無くなったようなどうしようもない無力感に襲われたのを覚えている。
実際にまちができていくのはこれからだ。壊れたものが同じ姿で復ることは決してない。再び興すべきはコミュニティであり産業であり、ハードの再建はそれにしっかりと繋がってこそ意味を持つ。