顔を寄せ、いかにも内緒の話をしているといった風に千絵は低い声で呟いた。
「はあ? 確か今年度の方針じゃ『大鉈振るう』とか言ってなかったっけ」
「全社的には確かに縮小傾向ね。けど、どうやら会長の肝入りらしいのよ。役員会議でも結構もめたらしいんだけど、どうやら副社長と取り巻きの役員直轄になるらしいわ」
うーん、この時期にねえ。
「カナコ、海外事業部の外園部長代理って知ってる?」
「うわさだけね。総研から来た人でしょ? かなりの変人だって訊いてるけど」
確か米国籍でMIT出、社員ごと自分の会社を売り払ってうちに来たという変わり種だ。
「その変人が新規部署の統括部長なんだって。本社に来て早々にこれじゃあ、誰でもあやしいと思うよねえ」
「で、会長派はその部署で何しようっての?」
正直なところ、上が勝手に何をしてくれようが知ったことではない。
現在の部署は、自分のやりたいことがやりたいようにできるという意味で、非常に居心地がいいだけでなくキャリアアップにも好都合だった。
わたしの仕事が移管されたり、障害になったりしないことを確認したいだけなのだ。
「それがねえ……さっぱり」
千絵はポーチからセーラムとベネトンのライターを取り出すと、忙しげに火を付けた。
「どうにも要領を得ないのよね、誰に訊いても。社長を追い落とすための策略の一環だとか、実は外園さんが会長の隠し子だとか、果ては産業スパイ養成部とかのふざけた話まで。会長肝入りってことで大袈裟になってるけど、噂の大きさの割に情報が少なすぎるのよ」
千絵もわたしも伊達にお局様をやっているわけではない。当然それなりの人脈と情報網は持っている。千絵は秘書の立場を活かして上層部の情報を中心に、わたしは係長から主任クラスに散らばっている同期と、事務職を含めた後輩の女の子達から社内全般の情報が入手できる立場にある。
しかし、今回の新設部署の話はその輪郭すら掴むことができない。
「結局、なに? 今回のお話は『新しい部署が出来ます、以上それまで』ってことなの」
「悔しいけどその通り……あ、けどスタートは決まってるみたい。来月中には立ち上がるらしいわよ」
そりゃまた急な話だ。ますます怪しいわね。
「なるほどね……千絵、ありがと。続編も期待してるわよ」
そろそろ戻らないと午後イチの打ち合わせに間に合わない。
「今月中にはなんとか実態を掴んでみせるわ。メンツにかけてもね」
親指を目の前で立ててみせる千絵に『何のメンツだ』とツッコミを入れたくなったが、とりあえず感謝しておくことにした。
しかし一週間経っても、次の月に入っても情報はまったく代わり映えしなかった。よほど厳しい箝口令が引かれているか、役員の一部にしか実体が知らされていないのだろう。そんな状態で役員会を通ってしまうと言うことだけでも、異常さは十分うかがい知れる。
結局、待つしかないのか──
わたしは最悪の事態を想定して内部行程を若干繰り上げておくことにした。もちろん、無謀な辞令にはそのまま従うつもりはないし(それはもちろん何らかの見返りを得ると言うことだ)、実際にそんな状態になったら今やっていることも無駄になる可能性はある。要は仕事に一段落付けておいて高みの見物を決め込もう、と言うだけのことだ。