「 昔の日記 」一覧

グロ注意。

抜け殻? というほどのことではないが一応。RSSリーダーやアンテナ使ってない人には手遅れか。

 ダメな人はトンボや蝶々でもダメだよね。そのへん自分が苦手な割には配慮が足りない。すまん。

 で、アパートの壁の暗がりにへばりついてたコレは何だろう。最初は普通に蛾だと思って撮ったんだが、アップで見てみるとサナギの抜け殻っぽくも見える。実際音鳴らしても光当てても微動だにせんかったし。

 いや、繰り返しますが昆虫は苦手な方ですよ? クモは2cmぐらいまでなら大丈夫ですけど。


絶賛奈良市中。

彩都(西側半分は造成中) もとい。慣らし中。

原則法定最高速度内、かつ危険回避以外では吹かさないようチンタラチンタラ と距離を稼ぐ。たかがスクーターの慣らしにここまで気つかわんでもいいような気もするが、そろそろアクセルワークで回転調整できるようになってきてきたのは余録か。この点ギア付きバイクは楽であるよね。

本日の目的地は大阪府未納死もとい箕面市(ミノウじゃなくてミノオだろ>自分)と茨木市にまたがって開発された彩都というニュータウン。ツンデレお嬢さまにエロ犬よばわりされてるとは関係ありません。誰も聞いてませんね。国道171号をちんたらと東へ。

割と最近のまちびらきで、忘れかけてる本業にまつわる情報収集もかねている。ていうか、自分みたいなニュータウンオタ属性持ってない限り普通の人がわざわざ行く場所ではない。実際、(現在の)千里中央や西神中央などと比べるとかなり寂しい状況だった。20年ぐらい前の西神中央ならイメージとしては近いかもしれない。最初降りたったとき「うわー地の果て」と呟いてしまうような感じ。

でも丘の上に(つーか街全体が丘陵だが)出てみると、割と大阪が近く見える。台風一過でそれなりに空気が綺麗だったのも手伝ってるのだろうけど、そういえば同じく20年ほど前に箕面の温泉で忘年会したときも意外に近く思ったっけ。あれは冬の夜景だったけど。他人の財布で穴子づくし&スッポンは実に旨かったなあ。バブルのひとこま。

写真はもっと早い時間に撮影せんとあかんですな。特にこれからの季節は。携帯カメラで何を偉そうに。

駅改札 行き止まり 駅前ロータリー 万博公園方面を臨む

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アドレスV125G導入。

SUZUKIアドレスV125G 確かごく最近に中型復帰するとか何とかいってたよーな気が。それ以前にYAHAMA党員としての矜恃はどこへ。そもそも最初に買ったのも50Γでしたけど。
 ちなみに趣味の品の方は継続して探します。いやホント、探すにも足がいりますよね?

 だってねー。警察がアホなこと言ってくるんですもの。

 盗難車はお返しします。ていうか引き取ってください。
 でも主犯格は別にいるようで、そいつの自白はまだ取れてません。だから破損弁償の交渉相手となる実行犯(未成年)の保護者は教えられません。
 ちなみに誰が弁償すべきか確定したとき、あなたへ連絡すべき部署および責任者は不明(未定?)です。

 なーんて言われてホイホイ引き取りにいけますかってーの。公務員つーか役所の仕事の進め方ってのは本当にどうしようもないですな。一応普通の人よりは知ってるつもりだったけど、それでも直接相手にすると腹が立つ。


トライク。

 産経記事。

安全性からオートバイを避けてきたベビーブーマーや、逆に危険を感じないX世代(1960年代中盤-70年代中盤生まれ)の中間を狙ったという。顔に風を感じながら、転倒の危険が少ない点がセールスポイントだ。

 わたしゃ「参画」と「協働」が明確な区分なくセットで使われるのと同じぐらい「安全」と「安心」をセットで見るのが大嫌いなんだが、安全を求めている相手に「安全ではなく安心を返す」のはどこの国も一緒なんだなあーとか思った。
 あと、ジェネレーションXの生に対する鈍感ぶりも同じか。

 ただ、これはちょっと意外に思ったぞ。

 米国ではカリフォルニア、デラウェア、サウスカロライナの3州だけが普通乗用車免許での乗車を認めているが、他の州では自動2輪免許が必要。オートバイに義務づけられているヘルメットも着用しなければならない。

 予想よりずっとまともじゃないか>メリケン


コンサル@役所のひとりごと。

 例によって職場でまくし立てたあと、ふと「私ゃ彼らの部下でも同僚でもなく、当然のように上司でもないけれど、やっていることはいわゆるキラー上司と同じなのではないか」と思った。

 彼らなりに取り組もうとしていることに難癖をつけて、そういうことはやっちゃいけない、正しいのはこうだ、手を動かす前に頭を動かせ、わかっているならなぜ改めない、などと逃げ場所をひとつひとつ潰して追いつめているような構図。仮にもクライアント、しかも年長者相手にそれはないだろう。スタイルとして持っていた仕事の進め方と現状との乖離に我ながらアゼンとする。

 しばらく前に「○○さんって最後まで踏み込んでくる感じがないよね、別に悪い意味ではなくて」と言われたことがあった。そのときは、当時のギャラも念頭に置いて「そういうもんだと思ってください。みなさんに成し遂げていただくのが私の仕事なんで」みたいな流しかたをしたけど、自分でも気づかないところでカチンと来てたのかも知れない。

 確かにいまは少なからず『関わる限りは最後まできっちりできてもらわんと困る』気分になっている。でもやっぱり『真の変革を(上や外の権威に頼らず)中にいる人の頭と手で成し遂げてもらいたい』という考えに変わりはない。問題になっているのは、去年まで「うむ、そうあるべし」と応じてくれていたはずの人たちが軒並み迷走あるいは疲弊してしまっていること。脇から見ればその原因はまさしく変革しようとしている体制や組織そのものだと一目瞭然なのだが、彼らには“これから自分が戦おうとしている相手”と“いま自分を弱くしている相手”が同じ物なのだとは実感できていないのかもしれない。

 相手の力量や状況にあわせて柔軟に対応する、なんてことはコンサルとして当たり前に持っている技能だ。それなのに、不安定な立場の自分がいつまで関われるかわからないと思うだけで不思議と焦れる。この歳になってから仕事に熱くなれるなんて10年前には想像もしなかったが、ここしばらく続いている空回りを思うと、いま必要なのは強制的なクールダウンなのかも。