「 覚え書き 」一覧

POSH BOYブランドってまだあるんだ。

 もう思い出すのもしんどいぐらい昔の、POSH BOYのTシャツ。15年以上前じゃなかろうか。外着に部屋着に寝間着にとローテーションの谷間を埋めてきた。

POSHBOY

 クタビレきってからは、時々押し入れから引っ張り出して眺めるぐらいだった。その状態になっても捨てなかったのにはもちろん理由があるけれど、まあ喜んで話すようなことでもない。

 いろんなことを考えながらゴミ箱へ。ばいばい。


KAIZOせよ! KAIZOせよ!

 ネタも古けりゃアオリも古い。

 本体購入から5年と3ヶ月。立案(Qball購入)、準備(カボション購入)そして着手から約3年。

 ようやくMicrosoft Trackball Explorerのすべすべ改造が完了しますたよ。単に途中で放置してただけだが。汚い処理ですまんね。

Trackball Explorer with Ruby Cabochon

 あちこちで触れられているように、まさしく別世界。うちの場合は初動期に渋りが酷かったこともあり、「新品に戻った」なんて感覚はまるでない。むしろ「最初からなぜこれで出さぬ」とブツクサ文句をいうばかり。

 冗談抜きで、最初からコレだったらもう2000円高くても数台確保していましたよ。そうすれば生産中止ももう少し先の話になってたりして。無理か。

 2ストのバイク、5ボタンのトラックボール、7段キーボードのノートPCにIEEE1394、私の惚れこんだものはどんどん淘汰されていく運命なのですね……。


アンチウィルスソフトの入れ替え。

 三度目のリブートではいきなりこんなダイアログが。
問題が発生したため、このコンピュータのライセンスを正しく確認することができません。エラーコード:0x8009001d。
 見たときねーです先生!
 以前よりCPU占有率の高さが気になっていたこともあり、先日Celeron500のWin2000ノートパソコンに導入したAVGへの移行を決意。さっくりダウンロード、さっくりインストール。不思議なぐらいにノントラブル。いつもこうだと嬉しいね。
 でも上のダイアログとは直接関係なさそうだなあ。
 デスクトップもいまどきPenIIIの1GHz、もう何年もメインで使えそうにない。となれば、そろそろミュージックサーバ限定用途への移行を考えるべきか。
 Windows用で10フィートUIのよさげなツールは無いものだろうか。DO VAIOの単体売りとかあれば買ったのに。先日来試しているMedia Gateなるフリーソフトは微妙に画面構成が気に入らないのにユーザ設定項目がほぼ皆無という悲しい状況。ブラウズ機能が無いのもツライですわ。
 むしろ地元民としてFeatherを買うべきかー。


オンラインでPDF化というと。

 やはり本家のCreate Adobe PDF Onlineを思い出すわけだが、北米カナダのみのサービスということもあり今ひとつ知名度(利用率?)が低い。今では日本語対応のサービスもあるようだが、廉価なPDFメイカーのリリースラッシュが続いた後ではローカルユースの代替にはなりにくそう。
 そこへこんなの。

HTML2PDF.BIZでは,URLを入力するだけでHTMLがPDFに変換され,ダウンロードできる。WebサービスAPIから使用する場合は,以下のように指定する。
http://html2pdf.biz/api?url=[PDF化するWebサイトのURL]&ret=[返却形式]

 つまり閲覧用とは別の(たとえば分割せずにベタうちしてある)HTMLと(例えば縦書きやページ区切りを入れた)スタイルシートを指定してPDF生成できるわけですかな。
 これなら印刷版下としてのPDFをテンポラリに扱うことができるわけで、例えば小説などの長文を公開しているサイトなどで導入が進んだりするのだろうか。でも大多数の人間にとっては「Wordに貼り付け→ローカルでPDF化→アップロード」の方が楽そうだよな。個人的には段組や縦書きに対応してくれるなら使いそうな気もするけど、使ってみんことにはわからんし(<試せよ)。
 気が向いたら「このページをPDFとして開く」とか「このページを指定CSSでPDFとして開く」みたいな右クリック拡張(MenuExt)やBookmarkletなんかを作ってみますかね。

現在アクセスが集中し、PDFが生成しづらい状態が続いています。ご容赦の程、よろしくお願いいたします。

 さいですか……。


Re: 最近、衝動買いをしていませんか?

 ハルヒビ経由で。

仮説の域を出ませんが、コンシェルジュと呼べるほどの店員やサービスが、まだ日本には少ないというのが理由ではないかと思っています。

 現状としてはおおむね賛同できる分析。
 でも、“今はまだ少ない”という表現にはひっかかるものがある。なぜなら、昔それが存在していたことを知っている世代がまだまだ残っているから。
 それどころか私は、消費の停滞の大部分は“個人を相手にしたコーディネートスキル”、広義の「接客能力」が失われたことによるものだと信じている(もちろん戦略レベルの話ではなく、戦術レベルの話)。いわゆる中心市街地の空洞化とも密接に関係するが、バブル期の前半ぐらいまで「商店街」が成立できていた大きな理由は、(元記事の筆者の言葉を借りるならば)その“コンシェルジュ性”にあったからだ。
 たとえばブティックで、数ある商品の中からブラウスを買うとする。今の売り子なら、店内にある他の商品とのコーディネートを勧めることだろう。あるいは手持ちのワードローブを聞き出し、今回購入したものの活用を提案するかもしれない(最近はそれすらできないマネキンが増えてるんじゃないかと思うが)。いずれにせよ買い物は店の中で完結し、波及効果は店と顧客の間でしか広がらない。
 しかし、かつては同じ商店街の中で入手できる「他の店」の商品とも合わせることを勧めるという販促がごく当たり前に成立していたのだ。「○○宝飾店だったらこれに合わせるいいアクセサリを選んでくれるだろう」、あるいは「△△靴店で“□□系のコンビを選んで”と言えばOKですよ」など。もちろん「デキる」スタッフならば自分の店の商品と関係する他店の状況はキャッチアップしているから、客を店から送り出した後に「うちで☆☆を買った人が行くかもしれないから◎◎ベースで合わせてあげて」という連絡までする。同じ商店街に店を構える、名実ともに“ご近所さん同士”である店主同士だけでなく、スタッフレベルでも行われる連携である。
 そうした商店街内での連携は、雑誌がカタログからトータルコーディネート、ひいてはライフスタイルの提言にまで踏み込んでくる80年代の終盤まで実際に行われていた。顧客の情報を引き出し既存のワードローブや趣味の傾向ともマッチングさせるテクニックは、少なくともファッション関係の店舗においては必須のスキルだったともいえる。店にある物を売ればいいという話ではない。
 しかし時はバブルを迎える。店員が勉強して「客より賢い、客が知らないことを知っている」状態でなくても勝手に物が売れていく時代になると、店主含めた売り手側はコンサルティング能力を高める努力を放棄してしまう(中にはマーケティングすら放棄した放漫経営もあっただろう)。実際には消費の枠が拡大しすぎてキャッチアップできなくなっていったということもあるだろうが、高度成長期に子どもの世代を「三代目」として育てなかった(=ノウハウの伝達に無頓着だった)ことも大きい。90年代後半から顕在化した商店街における後継者問題は、その半分以上が「二代目がバブルで楽をし、三代目をサラリーマンとして育てた」という流れでおおむね説明できる。
 メディアや行政の舞台では大規模店舗の進出や長引く不況がやり玉に挙げられるが、かつて日本の商店街はいくつもの不況を乗り越えてきていた。多様な外的要因はあれど、致命傷を避けて生き残っていくために試すべき手法はまだまだ残されていたのだ。結局は「個店の商店主がやれること・やるべきことをやってこなかった」、「子どもに迷惑かけない程度に食えればいいと経営の持続に執心でなかった」ことが直接の原因だ。
 このように「売り手側がトータルコーディネートを提案できなきゃダメ」という考え方は昔から存在した。ただ、それは決してカタログ・パッケージ手法ではなく、信頼できる異業種プロダクトとのマッシュアップによって成立していたのだ。古くて新しいこの概念は、ウェブにおける一定の検証を経て再びマーケットに戻りつつある。
 これはあらゆる業種、あるいは公共も含めたあらゆるサービス主体、もしかしたら文明間競争においてすら共通しそうな概念だが、「もの」を授受するだけでは数の論理には決して立ち向かえない。すべての店や自治体や国が「圧倒的なサービス量」や「最廉価」や「最先端」「独自性」を用意できるわけではないのだ。
 「消費行動自体の楽しさ」という文脈が示す実態は、高度成長期からバブル~平成不況のなかでそれぞれ違う物をさしているように見えるけれど、その受け皿となる売り手側が取るべき対策は大きく変わっていない。顧客を文字通りCustomerとして捉え、(まず口に出しては言ってもらえない)本当に望んでいることを満たすよう努力することだ。そこには試行錯誤があって当然だし、顧客化の水準も決して「1かゼロ」というデジタルなものではない。特にパイの小さな個店事業主はそのことに注意するべきだし、繁盛している専門店にはかならずそれを理解した店主ないしはスタッフが存在するはずだ。
 幸い、現時点で大規模SCにおけるテナント間のマッシュアップはさほど実効をあげているようにみえない。中心市街地活性化が90年代終盤の大失敗を経て第二フェーズに突入した今こそ、40歳前後の若店主には「商店街をあげてのマッシュアップ」へ積極的に取り組んでもらいたいと思う。そしてそのためにも「市場分析」や「プロセス最適化」のような、マスを相手にした経済の文脈に振り回されないようにして欲しいと切に願う。
 街の魅力は「そこで一通り買える」ことにもあるけれど、それだけでは車で乗り付けられる郊外型SCには勝てない。街は店の集まりであると同時に、大多数の消費者にとって「非日常の舞台」であり、「属するコミュニティとは異なる相手とのコミュニケーションの場所」でもある。ハレの場所という文脈はかなり手垢が付いてしまったけれど、その再生を客や市民にも直接担わせようとした失敗は繰り返さないで欲しい。
 街に訪れる人は、やっぱりTreatして欲しいのですよ。