この地区へ足を踏み入れるのは10年ぶりだ。
「その前」と「直後」を知っているからこそ、他の場所とはいえ「復興にかかるやりきれないあれこれ」に携わったからこそ、「その後」に向き合うのはとても怖い。もし新しい職場がこれほど近くなければ、あるいはまったく関わりのない仕事であったなら、ずっと見て見ぬふりをして過ごしていくのだろう。
通りを一本入れば、しらない場所。
何も残っていない。少なくとも、僕にはわからない。
区画はほとんど頭に入っているのに、風景がまるでマッチしない。角を曲がるたび増していく違和感に耐えられなくなって、ほんの10分でその場を後にした。
都市計画とはそうしたものだ。一面をクローズアップするなら、まちづくりとは結局そういうことなのだ。20年前のあの時に気付いてはいたけれど、10年前のあの時に理解はしていたけれど、まだ納得はできていない。
まちづくりは──特に、再生にかかるそれは──絶対に失敗が許されない。状況はいつも異なり、参照できるマニュアルも存在しない。それを土木建築という(まだ“人にやさしく”なかった)工学で扱うことの気持ち悪さを、どうして誰も口にしないのか不思議だった。大学・社会人と「中の人」でいつづけながら最後までその疑問に結論は出なかったけれど、今ようやくまちづくりは都市計画という学問から距離を置きつつあるように見える。いや、入れ替わっていた手段と目的が本来の位置に戻ろうとしているのか。
芦屋市の震災復興10年 芦屋市まち・人・くらし 総括・検収報告書がこのたびまとまった。文字だけ、写真だけで語ることはできない。それでも、ここから読み取れるものは決して少なくないはずだ。