そんな時期になりました。
モナ王を常備するのは実に6年ぶりです。それ以後は近隣のコンビニで確保できない状況が続いていたのですが、今年に入ってから入り浸っている24時間100均で常備されていることが判明してからもう。
「 昔の日記 」一覧
新調して1年と4ヶ月になる
CLIE PEG-SJ33だが、一年半のニート暮らしでは有効に活用することもなかった。月に一度ぐらいの頻度でメモリースティックウォークマン化するか、あとはもうラーメンタイマー風呂タイマーぐらいなもの。以前は真っ黒だったKsDateBookの月間予定表も2004年はすっからかんで、整理更新されない住所録は見れば嫌な記憶しか呼び覚まさないからハードボタン登録を外してしまっていた。
でもやっぱり仕事を始めると稼働率はババンと上昇するわけで、しかも現状パソコンが支給されてない状態だからメモ帳にはGraffitiでガリガリ書き込みが増えていく。通勤も座れる電車の30分だから128MBのメモリースティックは往復にちょうどいい。
そんなわけで半分ホコリを被っていた状態からいきなり酷使したせいでもないんだろうけど、復帰5日目にしてついに機嫌を損ねた模様。
AudioControlDAのMP3再生でトラックジャンプするとFatal Exception、PsDBでCSV書き込みするとFatal Error、Graffitiエリアの反応もN700Cの初期ロットみたいな反応の悪さ。
もしかしてアレですか。
例の。
なんとかタイマー。
今世紀入ってから買ったSONY製品で無事なのはサイバーショットU10だけだ。思えば90年代の製品もそれ以前の「パーツ保証期間を越えても平気で動いた」のに比べるとヤワだった。
それでも3年ぐらいは余裕で耐えたものだが、VAIO LX82はきっちり購入から1年4ヶ月後に死んだ。なんだかな。
ちょうど昨日友人が「動画ビューワとしてのTH55ってどうよ? PSPって無用にでかいし」みたいなメールを寄越してきていた。もちろん深く考えることもなく気軽に背中を押したのだった。自分はGraffiti-1から離れられないから乗り換える気なんてさらさらないのに。
そのへんで機嫌を損ねましたか。それとも今朝リナザウにAirEdge刺してる兄ちゃんを少しだけ羨ましいと思ったのがバレバレでしたか。天網恢々疎にして漏らさぬSONYの神様。
あーちくしょう。
ショップの延長保証書がみつかんねえ。
N700Cの時と同じ事してんじゃないよ俺も。
人生の経験値。
あちこちで流行ってるらしいですがとりあえず鈴木健介氏のblog経由にて。元はどこだろ?
変わるもの、変わらないもの。
入学式の前後だからちょうど今頃だったと思う。
19年前の4月、「洋食いくた」は初めて訪れたその時から既に懐かしい存在だった。
そもそも自分自身にはあまり縁のなかった神戸を進学先に選んだのは母の影響が大きい。「いくた」がまだ創業6~7年だった頃、当時加納町に住んでいた大叔母の元から越境して生田中学に通っていた母。わずか数年とはいえ、地方都市から国際港湾都市のど真ん中へ飛び込んだ体験は忘れがたい思い出になっただろう。後に就職してからも神戸の仕事となれば率先して引き受け、その頃には生田神社の裏手に引っ越していた大叔母の元へ馳せ参じようとするぐらいに。
影響を受けたといっても、直接の体験として神戸を知らなかった僕のイメージはすべて幻だったはずだ。物心付いた頃には大叔母は川西の雲雀丘花屋敷へ引っ込んでいたし、ポートピア’80の時点では神戸への興味などほとんど無かったといっていい。
でも受験の前年の夏、大学の下見に訪れた僕は「存在だけを聞かされていた許嫁」に一目惚れしてしまった。そして実家を離れ阪急電車で六甲に降りたったその瞬間に、なぜか耳慣れていた関西弁に囲まれた瞬間に、100万ドルの夜景を目の当たりにした瞬間に、海面にきらめく朝日を浴びた瞬間に、僕は何度も神戸に恋をした。自分がいるべき場所に戻って来れたと思った。信じられないほどの思いこみの激しさは、たぶん今もあまり変わっていない。
その後に得られた大事な幾つかのものは「神戸でなくても手に入った」のかも知れないけれど、それが神戸で起きた出来事だったというだけで僕の中での価値は10倍100倍になっている。
19年前には創業当時の様相をほぼ完璧に残していたこの店も、バブルの絶頂期に長い閉店を経て新装オープンすることになる。その小綺麗でちょっと窮屈な店内にもようやく慣れたころ、また(他の多くの店と同様に)膝を付き、そして三度立ち上がったのだ。
そんな歴史は三宮の店ならどこだって持っている。ただそれを見、知り、その上で変わらない中身に惚れている自分がやっぱり好きなのだろう。
この19年の間、僕は二度ほど神戸を離れた。戻ってくるたび「ここにいられるのであれば他の大抵のことは切り捨てられる」と思う。
そんなことを思うとき、僕の足はかならずこの店に向かってしまうのだ。オーダーはいつも「並ランチセット」。ソース要らずのスパイシーカツレツと渋めのデミグラスハンバーグは19年前とちっとも変わらない味。
新入社員のタイプ。
平成17年度・新入社員のタイプは「発光ダイオード型」
NHKニュース10から亀っぽく反応。
昭和48年度以降の全リストを参照してみると、同い年の多くが該当するであろう平成元年度新入社員は「液晶テレビ型」。当時はまだAQUOSみたいにブラウン管をリプレースしてやろうなんてデバイスではなくて、ロッドアンテナ付きのポータブルテレビで一部に採用されてるぐらいだったはず。
反応早いが、値段高く色不鮮明。改良次第で可能性大。
改良うまくいかず廉価な新製品(新人)でどんどんリプレースされている現状が痛いっすな。丙午があけて人口がドンと増えた翌年に「市場にあふれているので安く調達できる」とか言うてるのを見ると適当に付けとんちゃうんけ、とも思えるけど。
そしてながらく遊び呆けていた私がバリコネ就職した平成6年度は「浄水器型」。
取り付け不十分だと臭くてまずいが、うまくいけば必需品。
あー、見事にボタン掛け違えたかも。
でもって中途だけど心機一転してみた今回がLED。
微妙に’80s代表デバイスだったりするのは何かの縁か。
私の場合、同じLEDでもきっと赤とか黄緑とかですよ?