2002年9月18日は水曜日。

爪切りのこと

 hardでloxseな日々経由で久しぶりにentrance of EXIT !?を覗いた。
 爪切りというとステープラー風のタイプしか思い浮かばない人も多いと思うが、ニッパータイプの爪切り鋏もまだちゃんと売られている。幼児用、ペット用に限らず成人向けのものもちゃんとある。現代の爪切りのデファクトスタンダードというならやはり貝印あたりに落ち着くのだろうけどさ。
 実家にいた頃は、ばーちゃんが「諏訪田ニッパー」の愛用者だったこともあり内緒でちょくちょく借用していた。ちなみにうちにはその他にもあまり普通の家庭では見られない刃物が色々取りそろえられていたりしたのだが、母親が妙に刃物の取り扱いにうるさくて(それも「危ないから」じゃなくて「下手が使うとダメにする」という理由で怒られた)、例えば裁ち鋏で図工の宿題なんぞもっての他であった。関市に近接した岐阜という御土地柄もあるのだろうが、思い返せば道具一般に関してやたら拘ってた風でもある。建設~建築・電気設備方面と転がってきた父方の職人気質が影響しとるのかしらん、と元ネタ無視したままこの話は終わり。

みんなで11けたに法律に基づく異義申し立てを!

 そういえば最近住基ネットネタあげてなかったので。
 ちなみに忘れてたわけではないです。つーか仕事直結だから忘れようがねえ。

さすがに唖然とした

 セットアップ中のPC放置して帰ってきたらとんでもないニュースが。
 とりあえず一通りリンクしとこ>朝日読売毎日産経
 ……しかし小泉、なんで椅子蹴って帰ってこなかった?
 ここで「それはそれ、これはこれ」は通用しねーだろ。


2002年9月17日は火曜日。

大はまり

 3年ぶりぐらいにHDD/CD-ROMともSCSI onlyな環境でWindowsセットアップを行ったのだが、諸処の事情により見事に半日潰れた。
 PCの起動ディスクがない、当初添付のOS(Windows95)のシステムディスクがない、本体と一緒に送られてきたCDはなぜかOEM版Windows98、BIOSがCD-ROMブートに対応してない、TEKRAM DC-390Fの添付ディスクがない、PIONEERのSCSI CD-ROMのドライバがない。本体を送ってきた本社とSCSI周りを購入した大阪事務所に問い合わせるもディスクの類は全滅。.twなサイトから落としたり一旦自宅に帰ってディスク探したりと右往左往。さらに増設用に送られてきたCOMPAQのUWな9.2GBはSCSI-BIOS上で認識されるもののWindows上では認識されない。
 そして全てが終わった後、こんなサイトを発見……。
 あ、全然終わってないです。まだドライバ更新中でLANもウェブも使えないしWindowsUpdateで何百メガダウンロードすることになるのか考えるだけでも怖いっす。なんせ職場は64kだしのー。
 さらに風水チューンapache+perl+phpのセットアップ、simalis及びtiny ftp daemonの導入など先は長い。長すぎて厭んなってる。ぬごー。

20年賃料の一括保証、不況理由でも減額認めず 最高裁

 表題まま。サブリース契約自体、相場の変動を想定したものであるべきで極く当たり前の判決であろうかと。
 バブル崩壊が天災のように表現されるのは不思議でしょうがないねえ。

ニホンちゃんオフィシャルカレンダー

 サークル「はくねつでんきゅ~」第1回プロジェクト。
 欲しいかも……。


2002年9月16日は月曜日。

調整最終日

 2-1-3-3-2-3-4-3-2-1。微妙に調整狂ってるよーな気も。
 まあ盛り返す精神的体力を自覚できただけマシか。赤も裏も一発もほとんど見られなかったのがちと気になるが、神戸場所は恐らくチップ・赤ドラ・カン裏レスのデフレルールなので何とかなるだろう。あとは前日きっちり寝さえすれば……。

前へ習え

 「ああ言えばこう言う辞典」内「教育用語症辞典‐死語一覧R」より。
 ガキの頃からスタンドプレー派だったオイラも「目的遂行のため規律に基づいた行動を訓練する」ことは好きだった。見る方は創○学会を引き合いに出すまでもなく勘弁してくれ派なのだがねー。

揺する

 休日の朝にしては珍しく起きてたりして。
 それまでは肌寒いぐらいだったのが9時半頃急激に暑くなり、「日が射しはじめたにしてもこれは異様だなー」とか思いながらエアコン入れて暫くしたらゆさゆさ。
 12時間ぐっすり寝たおかげで摩耗しきった五感も復活したのかしらん。


2002年9月15日は日曜日。

調整ザル

 14時間耐久。
 一旦-380ぐらいまで沈んでから+200ぐらいまで戻したりと、ある意味自分の体力に自信を取り戻した。下で書いてることと全然違うやんけコラ。
 ところでオイラは負けが込んで無愛想あるいは攻撃的になられるのに非常に弱くて、特にヘナヘナのおっちゃんが精一杯ぶーたれてるのなんか目の当たりにしたりするとかなり萎縮してしまうタイプである(逆に元々態度でかいオッサンはどれだけ凹ましてもあまり気にならない)。いつも勝とうと思って打ってるけど根っこの部分では楽しく打ちたいってのがある。麻雀ごときで人間関係壊したくないってのが、ついフリー雀荘でも顔を出してしまうわけだ。負けるときはしっかり負けて帰るのに、勝ってるときはそこそこで引き揚げてしまっていた。
 常連の多い店ではそれをどうやって克服するかが自らの課題の一つだったりするのだが、今回は「厭なヤツモード」に自ら突入し、酷い手作り&和了を連発してみた。
 結果、「ブータレる>黙る>ラス半コール」のコンボはそれほど時間を要しないことが判明。もちろん自分の成績向上には効果絶大。
 そんなわけで、以後フリーでは「厭なヤツモード」をデフォルトとすることに決定。


2002年9月14日は土曜日。

8年振りとか書いたが

 実は去年の6月にわしが神戸を去る時にも同メンツで集合している。しかし前回は時間が合わず直対できなかった相手もおり、総当たりとなるのは本当に8年振り。

 メンツの一人が甲信越方面への転勤となり以後この5人で囲むことはまずあり得ないだろうこと、自分自身の体力気力の衰えが著しいことなどを考えると「麻雀というゲームそのもの」を心ゆくまで楽しんで打てる機会は本当にこれが最後なのだろうな、などと思ったりもする。

 嬉しいような、悲しいような。

UTSU

 4-1-1-2。即・裏チップも表裏2回で15枚ほど、若干調子を戻してきたような感じ。

 しかし最後の半荘は明らかに集中を欠いて、オーラスできっちり捲られ。しかも力負けではなく僅差トップから二着のダマ2000に放銃という体たらく。前局読み切れないまま一人ノーテンで連荘され焦りが出たか。

 来週は身内最強メンバーが8年振りに集まっての神戸場所。しかも長丁場確定的。果たして調整は間に合うか?